「マスターさん」

「お客様。〝さん”は付けていただかなくて良いので、どうぞマスターとお呼びください」

「ごめんなさい。私、こういうお店は慣れてなくて。マスター、素敵なお店ですね!」

「ありがとうございます、高宮様。とお呼びしても構いませんか?」

「ええ、もちろんです。このカマンベール、とっても美味しいですけど、デンマーク産ですか?」

「ほお、お目が高いですね。ここでは輸入物のチーズしかお出ししないんですが、臭いが苦手なお客様もいらっしゃいましてね……」

「私は平気ですけどね。というか、むしろカマンベールとかって、この匂いが特徴だと思うんです。違いますか?」

「おっしゃる通りでございますね」


 なんて具合に、高宮はあれからハイテンションだ。一方の俺と野田は、すっかり言葉を失ってしまった。

 俺はいまだに夢を見ているようでもあり、キツネに摘ままれたようでもあり、要するに惚けている。

 高宮の話が本当なら、優良企業の正社員を一年で辞めた理由は、その会社に俺……みたいな男がいなかったから、という事になるのだが、正直、信じられない。

 初日に高宮が泣いたのも、俺に出会って感無量で泣いたのだと、そう取れたが本当だろうか。あの日、高宮が泣いたのは朝と昼の2回だが、朝の方はそうだったとしても、昼の方は違うんじゃないだろうか。


 こんな事は本当は考えたくないのだが、高宮って……変人なのかも。そう言えば、部長のやつもそんな事を言ってたっけ。どうせ当てずっぽうで言ったのだと思うが。

 だが、仮に高宮が変人だとしたら、むしろ俺はこの子を守ってやらないといけないんじゃなかろうか。いつも傍にいて、見守ってやらないといけないんじゃないだろうか。うん、そういう事にしよう。


 野田が無口になったのは、たぶん、アレだと思う。うぬぼれかもしれないが。