俺は、それこそ足音を忍ばせるようにして高宮に近付いた。そして、声のボリュームをミニマムに絞り、そっと声を掛けた。


「高宮」と。


 と言っても、これは決して“優しい上司”を演じているわけではない。断じてない。ただ、高宮がまた泣くような事があれば、業務に支障が出るからだ。何と言っても業務優先、だからな。

 高宮は俺に気付いたようで、作業の手を止め、俺を向いたのだが……

 な、なんだ。なんだってんだ!

 なんと高宮は、俺を見て微笑んだ。いや、微笑んだなんてもんじゃない。満面の笑みだ。しかも……めちゃくちゃ可愛い。それこそドキューンと、胸を撃ち抜かれた気がした。


 ん?

 俺は何を言ってるんだ? 思っただけだが。

 こっちは御年(おんとし)40のむさいおっさんで、人間嫌いの女嫌い。しかも相手は実年齢はさておき、見かけ二十歳の小娘じゃないか。ときめく道理がない。

 落ち着け。落ち着くんだ、俺!

 高宮は、あどけない顔で俺の言葉を待っている。何を言おう。何を言うんだっけ。ああ、そうだ。そうだったな。


「高宮。その作業は中止だ」

「はい?」

「もういいんだ。今すぐやめろ」

「はい!」


 うわっ。なんだその返しは? 嬉しそうに「はい!」って、心臓に悪いからやめてくれ。

 俺は平常心を取り戻すためにも、くるっと後ろを向いた。そして少し離れたところにその人物がいる事を確かめ、


「森さん!」


 と、大きな声で言った。