少しして、廊下を野田が小走りでやって来た。ヒールの音を派手に響かせながら。そんな野田が、俺には救世主に見えた。


「ちょっとあんた。詩織ちゃんに何をしたのよ!?」

「言うと思った」

「はあ?」

「最近読んだ小説の台詞」

「ふざけてる場合? 私は真剣に聞いてるのよ!」


 野田は腰に手を当て、形のいい胸を突き出して言った。本気で怒っているらしい。


「まあ落ち着いて聞いてくれ。俺は何もしてない」

「本当に? だったら、どうして詩織ちゃんは泣いてるのよ?」

「俺が……」

「やっぱり、あんたなんじゃないの!」

「違うんだ。落ち着けって。俺が玉田……あ、玉田っていうのは若い部下なんだが……」

「玉田君なら知ってるわよ」

「総務を舐めんなってか?」

「茶化してないで早く言いなさいよ」

「わかった。俺が玉田を怒鳴ったら、高宮が泣き出した。以上」

「本当にそれだけなの?」

「そうだ」

「それなら、やっぱりあんたのせいじゃない。鬼課長に驚いて泣いちゃったんでしょ? 可哀想に……」


 するとその時、突如高宮は顔を上げ、野田に向かって激しく首を横に振った。何度も、何度も。


「詩織ちゃん、わかったから。もうやめて。そんなに怖がる事ないのよ、こんなやつ。ただの怒り虫なだけなんだから……」


 おいおい、それはないんじゃねえの?


「速水君、詩織ちゃんは私が預かる。落ち着いたら職場に連れて行くから。いい?」

「お、おお。そうしてくれると助かるよ。俺はこれから出掛けないといけないし。仕事中に悪いな?」

「ううん、いいの。これも総務の仕事だから」

「そっか」


 野田は高宮の肩を抱き、「行きましょう? 美味しいお茶を飲ませてあげる」とか優しい声で言い、高宮は野田に支えられながら、ゆっくりと歩いて行った。

 なるほど、ああすれば良かったのか。さすが、野田だな。

 と感心して二人を見ていたら、くるっと野田が俺を振り向き、言った。


「鬼課長二つ目の伝説ね?」と。


 なんだそりゃ?

 ……ああ。一つ目は、俺が気に入らない部下を追い出したとかいう、あれだな。野田のやつ、嫌な事を思い出させやがって……

 それと、高宮も俺を振り向いていた。哀しそうな目で、何か俺に言いたげに見えたが、あれは何だったんだろう。

 それにしても、風変わりな新人が来たものだなあ。