……あら?
既にそこにその人はいなかった。
さっきの駅で降りたらしい。

なんか、拍子抜け。
私は、手にしたお扇子を開いたり閉じたりもてあそんだ。

もう10年ぐらい前から使っている古いお扇子。
春慶塗の骨に、白金に輝く扇面。
苔むした古木の枝に紅梅と白梅が描かれている、私の一番のお気に入り。

お扇子も茶扇子も何本も持っているけど、これだけは特別。
要(かなめ)を修理しても使い続けてる。。

でも、もしかして……あまりにも古いから見てはったのかな。
それとも、夏なのに梅の図案で季節外れ、って思われたのかな。
色々思い当たって、私は少し悲しくなった。

それにしても綺麗な人だったな。
ああいう人を「麗人」って言うのかな。
また、遭遇できたらいいな。

私は名残惜しい気持ちで、その人が降りたであろう駅をぼんやり見ていた。

一旦帰宅してから、私はすぐ近所に住まう師のもとへとうかがう。
……今週はお華(活け花)のお稽古だ。

「こんにちは~。明子です。」
「はい、こんにちは。今日は、投げ入れよ。青い毬栗(いがぐり)。落とさへんようにね。」
ニコニコと師がそう言って迎えてくれた。

「落ちる。絶対、落ちるし!落とす自信あるもん。」

師とは言え、勝手知ったる近所のおばちゃん。
私達は、歳の離れた友人のような関係の師弟だ。
もともとは、母が師にお華を習いに通っていた。
赤ちゃんの時から一緒についてきていた私は、どうしても自分でやりたくなり、小学校入学と同時に母と交代してもらった。
師はお華だけでなくお茶(茶道)も教えられたので、小学3年生からは隔週で教わっている。

今日のお花は、青い栗の木、ひな菊、リンドウ。
8月も20日を過ぎると、秋が近いことを感じさせる花材が選ばれる。
花器も、信楽焼を使わせていただいた。

まだ16歳ながらキャリア10年超の私は、師に言わせれば「何でも1人でできて当たり前」。
いつものように放置され、とにかく活ける。

数年前から何の手直しもされてないので、たぶん上達しているのだろう。
でもこういうのって、技術を身に付けた後は、センスの問題だと思う。

新しい洋花よりも、菊や、常緑樹のお生花(せいか)、つまりお流儀花が好きな私は、たぶん保守的でおもしろみに欠けるんだろうな。