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「在原さん、車椅子の用意ができました。お外に行きますか?」


リクライニングできる車椅子に、背の高い彼を移乗した。


晴天の秋の空は、どこまでも高い。
ホスピスの屋上は喫煙所になっている。

病院や施設はどこも禁煙の昨今、死を待つ人が集うホスピスは、最期の時を好きなように過ごしてもらえるよう配慮している。


彼は細くなった指になんとか煙草を挟んで、美味しそうに吸った。



「煙草を吸うの、知らなかった」

煙が苦手なわたしは、彼から少し離れて言った。


「日向子と別れてからだからな・・・」


掠れた声が、あの頃の優しい響きをもっている。


「子供が生まれたときに禁煙したんだよ」

彼は懐かしそうに目を細めた。


「結局また吸出したんだけどな」

カルテに記載された、離婚歴を想う。
子供は、小学生のはずだ。



「日向子、いくつになった?」


目線だけをこちらに向けて、彼は笑っていた。


「三十五・・・、もうすぐ六だよ」

「・・・歳とったなぁ…」

「大人になったと言ってくれる?」


もうすぐ生が終わる、いつか愛した人に、わたしは笑って答える。



泣くな、泣くな、何度も心の中の自分を鼓舞した。




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深夜勤で出勤したとき、準夜勤スタッフからの引き継ぎで彼の意識レベルが下がっていることを聞いた。


心臓が嫌な音をたてる。

もう、何人も末期患者を看取ってきた。どんな風に悪化して、どんな風に痛みに耐え、どんな経過を辿るのか。


わかっているはずなのに動揺する。


「もう電子血圧計では測れません」

その時が近いことを示す幾つかの徴候を、申し送りで確実に聞き取る。


彼のベッドサイドにいるだろう、彼の母親は今、どんな気持ちでいるのだろう。



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「在原さん、失礼します」

病室には、彼の母はいなかった。
今夜のうちに彼が逝くことはないと医師から話があったようだから、きっと一時帰宅したのだろう。


ホスピスで寝泊まりする家族もまた、多くのものを背負っているのだ。


「日向子・・・」

掠れた声が、わたしを呼んだ。

あと2日か3日だな、と冷静に考える。
その中で、コミュニケーションが取れるのは、明日が最期になるだろう。


「日向子、に、看取ってもらえる、のか?」


息も絶え絶えとは、このことなんだろう。


「シフトによるけど・・・」



わたしは彼の傍に行った。

布団の中の掌を、そっと握った。
その手は温かくて、まだ生きているのだとほっとする。


「日向子・・・」


彼の手を、自分の頬に添えた。

「ありがとう」


いろいろな想いを込めた、ありがとうの言葉だった。


「朝になるまで、ここにいる。だから、少し眠って」





わたしは、彼に最後のキスをした。