「ありがとう。かず坊を想ってくれて。でもな、もうちょっとだけあの子を信じてあげてくれへんか?あの子の忍耐強さと意志の強さは折紙付きや。」

「信じる……」
おかあさんにそう言われて、不本意に感じた。
「いいえ、信じてます。上総(かずさ)んが自分を犠牲にしても私と結婚したがってくれてるのも。うれしいけど、それがつらかったんです。」
私がそう反論すると、お母さんは首を横に振った。

「違うわ。あんたが信じてるんは、かず坊の愛情やろ?私が言うてるんは、かず坊の男としての力量や。甲斐性や。私は信じてるで。何の後ろ盾も、誰の援助も受けんでも、あの子は自分でご贔屓を掴んで立派な看板役者になれるって。」

嫁の実家の援助もなしで?
そんなことが可能なのか?
「それって、めっちゃ苦労しません?上総ん。」

おかあさんはにんまりと笑った。
「それぐらいの根性ありますわ。学美ちゃんがいれば、やけどな。」

「私……」
私一人の存在がそこまで上総んを動かす、とは思えなかった。
でも現に、今、上総んがここまでボロボロなことを考えると、あながち大仰じゃないのかもしれない。

「せや。あんたや。私や蓬莱屋さんが口を酸っぽうして焚き付けてきた父親の名跡の継承、ようやくかず坊がその気ぃになったんは、学美ちゃんにエエ格好見せたいからや。」
おかあさんの言い方が、まるで小学生の男の子を表してるように感じられて、私はちょっと笑ってしまった。

「笑いごとちゃいます。ほんまでっせ。客席の学美ちゃんの目ぇが、背景として座ってる自分から主役に移るんが耐えられへんかったんやて。かず坊が舞台に出てる間中、かず坊しか見んでええような役者になるって意気込んでましたわ。」
そんなこと言ってたんだ。
何とも、くすぐったい気持ちになった。

「言うてくれたら、まばたきも我慢して上総んだけ見てたのに。」
「あほな!それじゃあの子の向上心が育ちませんでしたわ。それでよかったんです。問題は、これからですわ。一旦失った信用を取り戻すんは大変なもんです。学美さん、苦労かけるけど、かず坊のそばにいてやってくれんやろか。」

お願いします、と、今度は本気でおかあさんが私に頭を下げた。

「後の祭り、かもしれません。」
ぼんやりとそうつぶやいた私に、おかあさんが手を打った。

「そぉや。明日は祇園さんの、後の祭りやわ。いや、すごいタイミングやなあ。学美ちゃんとかず坊、ちょうど二年前の今日、はじめて出会ってんろ?仲直りに最適の日ぃちゃうか!」
おかあさんのはしゃぎっぷりは、かなり不自然だった。

あからさまに、話をそらしたよな、今の。
もちろん、私は祭の話をしたわけではない。
峠くんに抱かれたことを後悔してるわけじゃないけど、上総んはどう思うだろうか。
私は、取り返しがつかないことをしてしまったのかもしれない。

「丸二年、ですか。本当ですね。確かに、そういうタイミングかもしれませんね。将来を決めるか、別れるか。」
苦笑してそう言ってから、私は淋しくつぶやいた。
「私の不貞を上総んは許してくれるでしょうか。」

おかあさんは小さなため息をついた。
「言わんでええのに……。」

思わず顔を上げた。

おかあさんは苦笑した。