「はい、この話は一旦打ち切り。着いたわよ。」
程なくタクシーが止まった。

かの、旧宮様の別荘のすぐそばに、中野大先生の別荘があった。
「ここ!?」
塀の向こうにそびえるのは、どう見ても立派な近代建築だった。

「ええ。中野の本宅は桃山城の近くの馬鹿でかいお屋敷なんだけど、そっちには息子が家族で住んでる。ここは中野の書斎ってところね。」
……さすがというか、なんというか。

「ただいまー。教え子連れてきたわよ。紫原 学美(まなみ)。美人よ~。見えなくて残念ね。」
松尾先生がバタバタ音をたてて、いくつものドアを開けてく。
「あ、いた。こんなところで、何してるの?」

暗い部屋の中、目を凝らしてよく見ると、品の良さそうな老人が浴衣で窓辺に座っていた。
これが中野大先生か!

「やあ、おかえり。あなたがいないと静かでね、虫や動物の鳴き声が聞こえてたよ。……歌舞伎は楽しめたかな?」
穏やかな口調でそう仰ってから、中野大先生は手をさまよわせた。

すかさず松尾先生はその手を握った。
「もう最悪!初日よりひどかったわ。みんな、この、紫原のせいよ。」

……言い返せない。

「紫原くん?はじめまして。お噂はかねがね聞いてますよ。いかがですか?研究は、順調ですか?」
柔らかい笑顔を浮かべて、中野大先生はそうおっしゃった。

「はい!はじめまして。紫原学美と申します。お会いできて光栄です!」
めちゃめちゃ緊張した。

「後で、紫原の成果見せてもらうから、アドバイスしてあげてよ。お茶入れるけど、飲む?」
松尾先生はそう言って、中野大先生の背中に手を回した。
「いや。今日は遠慮しとくよ。私がいると積もる話もしにくかろう。紫原くん、明日またお話いたしましょう。」
中野大先生は松尾先生に支えられて立ち上がると、私に丁寧に会釈してから部屋を出て行った。

「はああああ。素敵な紳士ですねえ。」
思わず感嘆の声をあげてしまった。

松尾先生は、ちょっと顔をしかめて頷いた。
「そうね。誰に対しても腰の低い、親切なイイ先生よ。ほんっとに、『誰に対しても』だから、そばにいるもんは割を食うけど。」
コーヒーを入れてくれようとしたけれど、胃に沁みてつらいので断わった。
結局、2人で缶ビールを煽った。
……峠くんに怒られそうだな。

「上総丈、役者辞めるかもね。」
松尾先生はイケズな顔でそう言った。
「まさか。」
一応そう言ったけど、今日の舞台のクォリティーの低さを考えるとどんどん不安になってきた。

「ねえ。紫原はさ、上総丈が一般人なら、少なくともこのタイミングで別れなかったんでしょ?」
「意地悪な質問ですね。仮定の話は無意味ですけど、まあ、そうですね。」
「じゃあ、役者辞めたら、戻る?」

ため息が出た。