「うん、あんた、鈍いから。私は見ててわかったわよ。あんたが峠くんを気に入ってたのも、上総丈のペースに持ってかれたのも。むしろ峠くんのほうが、紫原を上総丈にかっ攫(さら)われたのかもね。まあ、あの頃の峠くんとあんたじゃ、恋愛成就するわけないけど。」

確か当時も、松尾先生にそんなことを言われた気がする。
私は、ちょうど2年前の出会いをぼんやりと思い出そうとしていた。
……てか、ほぼ同じタイミングで出会った2人なんだなあ。
あの日あの瞬間が、どれだけ稀有で特別な時間だったのか、私はしみじみと感慨深く思い出した。

出町柳で電車を降りると、タクシーで吉田山へと向かった。
野田教授にも言われたことだし、とりあえず中野大先生にご挨拶だけして帰るつもりだった。
が、結局ずるずると居着いてしまった。
……松尾先生ご自身はあまり料理もしないヒトだけど、目のお悪い中野大先生のために、ちゃんと家事をしてくださるかたが通いで来てらっしゃるので豊かな食生活のご相伴に預かることにした。
中野大先生に届く各地の教え子達からのお中元も山のようにあるらしい。

「中野先生と学生の時から付き合ってたって、マジですか?」
車中、一応確認してみた。

松尾先生は、鼻で笑った。
「まあね。でも中野は妻子持ちだったから、他の男とも付き合ってたけど。ああ、中絶もしたわよ。院生の時にゼミの後輩の子供。30歳で中野の子供。タイミング悪くてね。」

……私の知ってる松尾先生とは別人のように思えた。
サバサバした女傑だと思ってたけど、けっこうな女じゃないか。

「すごいですね、そのゼミ。めちゃ空気悪そう。」
担当教授と不倫しながら、ゼミの後輩と付き合って、その子を身ごもって中絶……言葉が出ない。

松尾先生は、こともなげに言った。
「そうね。ゼミクラッシャーって、他の女子からは忌み嫌われたわ。」

……だろうな。
そうか、ここにもいたのか。
ゼミクラッシャー。。。

「中野先生とはずっと続いてて、後輩さんとは別れたんですか?」
後輩っつっても、松尾先生の後輩で中野先生の教え子なら、おそらく名前ぐらいは聞いたことのある研究者なんだろうな。
恐いものみたさで聞いてみた。

「何となく続いてるわよ。今でもよく逢う。てか、還暦過ぎてお互い結婚してなかったら、吉岡くんと結婚する予定だったのよね。老後のために。あはは。」

吉岡……吉岡賢造先生か!?
「あの、私、吉岡先生って、かわいい毛むくじゃらの太った男の子がお好き、と、前に松尾先生からおうかがいした記憶があるんですけど。」

吉岡先生は、業界では有名な女嫌いの男色趣味の研究者。
業績と能力がずば抜けてる割に就職にご縁がなく、55歳の時にいきなり私立大学の教授として迎えられて、社会保険をはじめて払い始めたという変わり種。
……もしかして、吉岡先生の就職が決まらなかったのは、中野大先生が嫉妬で邪魔してたのか!?

「うん。そう。吉岡くん、きゃぴきゃぴした女子大生とか苦手なの。私はほら、紫原のように美人じゃないけど、紫原以上に尖ってた狂犬だったから、吉岡くんには女に見えないみたい。」
「女に見えないのにそういう関係にはなるんですか。」 
もう、カルチャーショック過ぎて、私は遠慮もなく質問を重ねた。