「おはよう。何、作ってるの?」
「……おはよう。何もないから、海苔雑炊。」

のり!

「へえ!いい香り。峠くんすごいねえ。夕べのお茶漬けもおいしかった~。」
峠くんの頬がふっと緩んだ。
料理をほめられて喜んだのかと思ったら、峠くんは目を細めて言った。

「久しぶりに見た。まなさんの素顔。そのままでいいのに。」
もしかしたら「まなみさん」と呼ばれたのかもしれないけれど、「み」が聞き取れず「まなさん」と呼ばれたように感じた。
何だか新鮮だった。

「ありがと。私もあまり目立ちたくないんだけど。ま、上総んと別れるまでの期間限定ってことで。」

「……別れるって……」
峠くんが目を見張った。

「あ、うん、いずれ?今じゃないわよ。……私じゃふさわしくないでしょ。」
慌ててそう言うと、峠くんは首をかしげた。
「いい関係だと思うけど。」

……やだ……泣けてきた。
じんわりと涙がこみ上げてくるのを、まばたきで払った。
「上総ん、知らない?」

「……下で練習するって。」
「朝から!?……何か焦ってるのかな。」

「……焦ってるというか、背水の陣?一度失敗したら後はないって覚悟してやってるみたい。恵まれた御曹司とは違うから、って言ってた。」

……夕べ、そんな話をしたんだ。
胸が締め付けられるように苦しく感じた。
せめてお父様が生きてらしたら……妾腹でも、全然立場が違ったんだろうな。


「飯できた。上総さん呼んで。加倉-!起きろ。」
峠くん、昨日は上総んを「中村さん」って呼んだのに、夕べ多少打ち解けたのかな。
階段を下りてくと、上総んが真剣な表情で鏡を睨んでいた。

「怖い顔。らしくない。荒事だからって、気負い過ぎじゃない?」
「学美?おはよ。……夕べ、ちゃんとお茶漬け食べたんだって?えらいえらい。おいで。」

朝の光が上総んの笑顔をよりキラキラさせていた。
ふらふら~っと近づくと、ぎゅっと抱きしめられた。

「……汗臭い。」
そう言いながらも、汗でじっとりしけった上総んの浴衣の胸元にぐりぐりと頬をすりつけた。

「そういや、昨日から汗流してないな。ごめんごめん。」
「上総ん、ちゃんと寝た?睡眠、足りてないんじゃない?」
「ん~。4時間ほど寝たよ。居間で。今夜は早寝しような。」

……とか言いながら、その夜も上総んは夜遅くまでお稽古をしていた。
真面目なヒトだ。


加倉と峠くんは、それからもちょくちょく上総ん家に遊びに来るようになった。
上総んは、彼らとのたわいもない話が楽しいらしく、2人のためにお布団セットを2組購入してもてなした。

2人が泊まった翌朝は、当然のことながら、私と加倉は一緒に登校することになる。
加倉がゲイだということは周知なので、院生研内では物議をかもしていたようだ。

仲良くなってみると、加倉はおもしろい男だった。
本気で女に興味がないらしく、これまでに数人の男と付き合ってきたようだ。
研究には熱心で、上級生の発表にもバンバン突っ込む鋭さが小気味よかった。
……もちろん私には、遠慮なく突っ込んでくるので……負けるもんか!と私も加倉の研究分野を勉強した。
お互いに、丁々発止のやりとりがすごく楽しくて、ゼミの発表のある度に2人で勝ち負けを競った。