「峠くん……そう……板前さんになるのかしら。」
カフェで買ったコーヒーを飲んでようやく落ち着いたらしく、美子さんが首をかしげた。

「……昼間は美術館でバイトしてるらしいので、まだ筆を折ったわけじゃないと思いますけど。」
そう返事したけれど、峠くんが板前さんに褒められてたことが少し気になった。

「でも、紫原さん、割烹って……彼氏は社会人なの?」

おっと!来たか!
できたらそういう質問は院生研でしてほしかった……他のヒトもいる場所で。
「えーと、社会人ですね、はい。学生じゃないです。」
やばい。
こういうシチュエーションに慣れてないので……恥ずかしい。

「あら!♪」
美子さんの声が弾んだ。
「紫原さん、クールっぽいのに、本当は表情豊かなのね。照れてる。かわいい。ふふ。」

「……すみません、こういう話、慣れてなくて。普段はめんどくさくて無表情にしてるというか……」
気恥ずかしい。

「そうなの?モテるでしょ?」
そう聞かれて、思わず顔をしかめた。

「勝手に勘違いされて懸想されるだけです。……私より、美子さんのほうが、ずっと可愛くて女の子らしくて素敵だと思います。お世辞じゃなくて。」
美子さんは苦笑していた。

「ほんとですよ?……そもそも、私、男性とお付き合いするのも今のヒトがはじめてで・・女子力低いんですよね。メークも下手くそで、やってもらってるぐらい。」
そう自主申告すると、美子さんの目が輝いた。
「彼氏さんに!?……あれ、でも、最近?え?遠距離だったの?遠距離になったの?」

……食いつくなあ。
「遠距離でした。今やっと一緒にいられるようになって、つかの間の幸せを噛みしめてます。別れるまで、めいっぱい楽しみたいです。」

「え?別れるの前提なの?……もしかして……既婚者?」
美子さんが声をひそめた。

「まさか!」
そう言ってみたけど、慌てて付け加えた。
「いや、別に不倫を頭から否定してるわけじゃないですけどね。でもなるべくなら、罪悪感を抱えて付き合いたくないというか。……難しいな。」
いずれ上総んが他の女性と結婚することを覚悟してる身としては、当然別れるつもりではあるものの……結局、離れられずズルズル続く可能性もあるわけで……どうしても曖昧な言葉を選んでしまう。
いい加減なの、嫌なんだけど。

美子さんは、ほうっとため息をついた。
「……そうね。なるべく楽しい恋したいね。私も、不倫はもう嫌だわ。」

もう……?
突っ込んで聞いていいのだろうか。
口を開くのをためらってると、美子さんは慌てて口を抑えた。
……失言だったのか。
反応しないでよかった。

ひたすら黙ってると、美子さんは皮肉っぽく笑った。
「ま、そういうことよ。」

聞いていいのかな。
女子のこういう駆け引きがわからない。

私は少し考えて、当たり障りなさそうだけど、一番私が知りたいことを聞いた。
「……その恋が終わった後、美子さんの中には後悔はありましたか?それとも悔いなし、ですか?」

私の質問は、女子の恋バナから逸脱していたのだろうか。
「紫原さんって、おもしろいわね。」
と美子さんは真顔でマジマジと私を見た。

「すみません。恋バナしたことなくて。」

ほんと、恥ずかしいな。