「先輩、は、照れるわ。名前で呼んでね。名字は目立つから。……たぶん、紫原(しはら)さん、ご存じないと思う。有名じゃないし。まだ名題試験に合格したばかりの若手なの。」

ドキッとした。
名題試験、上総(かずさ)んも受けたのだ。

北津留……じゃない、美子さんは、私の持ってる雑誌を覗き込み、そっと指さした。
「この人。の、息子さんなんだけどね、諸事情で公(おおやけ)になってないの。」

12代目の子。
上総んだ!
何と言えばいいかわからない。
えーとえーと……

「あのぉ……去年、野田先生がこちらの大学の四回生を連れて、京都に巡検に来られたんですけど……」
「うん?」
「その時、私、ご案内のお手伝いをしていて……奈落(ならく)で黒子(くろこ)をしてた中村上総丈にお会いしました。」

事実だけを簡単に告げると、美子さんは目を見開いて、両手を口に当てた。
「ええっ!?そうなの!?うらやましいっ!いいな~~~~!かっこよかったでしょ?優しいでしょ?」

……ええ、そりゃもう、すごーくかっこよくて、すごーく優しいよ、上総ん。
とは、もちろん言えないので、当たり障りなく答えた。
「はい。私と、ゼミの担当教授だった松尾教授と、こちらの学生だった峠(とうげ)くん……峠 一就(かずなり)くんを楽屋に案内してくださって、サインもくださいました。」

すると、美子さんの頬がみるみるうちに赤くなった。
「え……峠くん……知ってるの?」

へ?
峠くん?
「知ってると言うか、あの巡検で会っただけですけど……美子さん、仲よかったんですか?」

美子さんは、ますます赤くなった。
「そんな……違っ……彼、無口だから、仲良くなんて……」

てか、美子さんの目が潤み出した!
さすがにギョッとした。
美子さん、峠くんのことが好きなのか。

「あの……峠くん、今は?東京で就職されたんですか?それとも地元に?」
峠くんの地元がどこかも知らないけど。
「……いいえ。峠くん、院試、落ちたの。来年また受けるって。バイトしながら院浪人するんだって。」

へ?
院試……受けてたんだ。
試験会場2つあったから、私とは別の部屋だったのかな。
そっか……。
でも、院浪人って。
根性あるなあ。

「そうでしたか。来年受かるといいですね。」
当たり障りなくそう言った。

夜は、うちに寄ってから、上総ん家(ち)へと向かった。
……結局、我が家に泊まったのは引っ越ししたその日だけで、あとは、ずーっと上総んの家に泊まってしまってる。
あっちのほうが広いし、居心地いいんだよね。
古い木の家は、真新しいコンクリートのマンションより、はるかに寛げる気がした。
息苦しくない、というか。

上総んは、当たり前のように私に家の鍵をくれた。
ちなみに私は、マンションの部屋の鍵を渡してない。
……いつ父が出張ついでに覗くかわからないし、なるべく騒動は避けたかった。

上総ん家(ち)で、図書館から借りてきた資料を読んでるとラインが入った。

<今、出たよ。夕食どうする?入学祝いに、割烹行く?>

私は、2つ返事で飛びついた。

<やったー!絹揚げの炙ったん、食べる~♪>
<ついでに、夜桜見に行こうか。九品仏川緑道の桜。> 
<ソメイヨシノ?>
<品種が気になるの?基本、ソメイヨシノだと思うよ。>

……まあ、綺麗だけどね、ソメイヨシノも。 
でも、枝垂れやヤマザクラ系が好きなんだな~~~。