『本当なら、あいつも春から出向命令が出ていたんだ。どうして断ったと思う?』

『…そんな話、知らないっ』

『知らないで済まそうと思うな。人の将来を知らないで済ますな、ましてやお前の大事な相手だろ! だから、きちんと見えてるのか聞いたんだ』

きちんと見えているのか。そう聞かれて、私は何も答えられなかった。


『あいつが出向を先延ばしにしたのはお前のせいだ。現抜かしてる場合じゃないって気づいてやれよ。お前が邪魔してるんだよ、あいつの可能性を。俺が3年後戻ってきた時、かなりの差が付いてる。あいつは俺より出遅れてスタートするってことだ。それが、どういうことかいくらお前でも解らないわけないだろ』

『…ちゃんと解ってます』

『いや、お前は何も解ってない。一級建築士なんて資格持ってたって、出向に行きもしないならデザイナーとも名乗れないで、せいぜい現場だ。へたすりゃ平や去年入った林の下だ。浮かれるのもいいけど、きちんと見て理解してやれ』

日下さんの言葉は、まるで冷たい氷の矢で追い詰められたかのように、じわじわと心に突き刺さっていった。

『図面すら引かせてもらえない建築士は建築士じゃない』

最後にそう吐き捨て、静かに休憩室から出て行った日下さんの後ろ姿を、弁解しに追いかけるわけでもなく、姿はとっくに消えていたのにその残像を、ただただ見つめていた。


『工藤自身が決めたことだ、お前が気にすることじゃない。日下は少しばかり不安なだけだ』

背中に受けた台詞とタバコの煙に振り返ると、前川部長は自ら貼った[禁煙]と自作した貼り紙の下で、タバコを燻していた。

『出向ってなんですか? 行かなかったらどうなるんですか? デザイナーになれないんですか? 図面…描けないんですか?』

窪んだ目の底からじわりと熱いものが滲んでくる。消え入りそうな声に、部長は『お前が気にすることじゃないと言っただろ』と、煙と同時に吐き出した。