入り込んだ休憩室で、部長が日下さんへ声を掛けていた。この日、日下さんの最後の出社日だった。
『…不安なのは自信がないからだ、自信がないのは経験がないから、経験がないのは行動しないからだ。日下、しっかり修行してこい、あっちでは試練が待ってるぞ。お前にぴったりの試練がな』
『はいはい』
この1年。何度となく、日下さんのアシスタントを迷惑を掛けることもあったが、頼み少ないながらも必死に付いていった。
アシスタントを任されている間、何も言ってこなかった日下さんは、私に対して最後に真剣な瞳を向けていた。
部長がまだ休憩室にいたのもお構いなしに、苛立った重い声で容赦なくその言葉たちは降り注いだ。
『お前が自分のことに必死になるのは解る。けど、お前はあいつのこときちんと見えているのか?』
口調はいつもよりしっかりしていて、いつになく真面目な表情で私を蔑むように見下ろしていた。
普段の、面倒臭そうな、鬱陶しそうな、不機嫌そうな日下さんとは別人だった。真っ直ぐ見据える視線を私は逸らせないでいた。
『去年。一級施工、俺が受けたやつだ。あいつが受けなかった理由。お前に解るか?』
抑揚のない声を張り上げてこう言った。
『仕事が忙しくなったからじゃない。お前が原因だ』
『…私の、せい?』
日下さんが何を言っているのか、解らなかった。
一級施工管理技師を、確かに彼は受けるはずだった。
てっきり受けると思っていた私は付き合い初めの頃、受けないのか彼に聞いたことがあった。
『仕事が忙しいし、一級建築士のあとにリフレッシュしたいしさ。建築士の試験よりは難易度は高くないから、ゆっくり勉強して来年受けようと思ってるんだ。焦ってもいいことないだろ?』
そう言っていた。
それを、日下さんはお前が原因だ。と、冷たい目で物を言わせていた。