「一夜…帰ってたの?」

血を見た延長線上にある焦燥で、先輩は声を震わせた。

「二分くらい前からいたんだけどな。全然気づかないし、ヤバそうな話だったから聞き耳立ててた。…ゴメン、日向」
「一夜くん…?」

私の頭の上に、一夜くんの右手が乗せられる。

「面倒な話…聞かされただろ?」
「…まさか、知ってたの?」

先輩が問いかけると、一夜くんはさも当たり前であるかのように答えた。

「父親もいない、母親が結婚指輪すらしてないってことで、物心ついた時には何となくの想像はついてた。…まあ、理事長と鵜児先生が俺の父親と兄っていうのは予想外だったけどな」

想像はついていた…ということは、物心がついてから今までの十数年間、一夜くんはずっとその思いを抱えながら生きてきたんだ…。

押しつぶされそうだった。私の手なんかより、私の頭の上に乗せられているその手の方が、何倍も傷があって、何倍も痛い。

「…子供心にも、ショックだった」

誰に話しているということもなさそうに、一夜くんは続けた。

「思えばそれからだったな。俺が味オンチになったのって…」
「味オンチ…?」
「…こんなこと言うのは初めてだけど…俺は人より、味を少ししか感じない」

あの時食べた、とてつもなく甘いドーナツ。その時に感じた些細な違和感が、一つに繋がった。

「…一夜くん…」
「だから」

一夜くんの息が、一つ入る。

「あの夜日向が作ってくれたカレーも…味をそこまで感じなかった」