蝉が鳴いていた。僕はいつものように屋上にいた。昼休みは、決まってここに来ることにしていた。一人きりでここで過ごす時間が僕は大好きだった。ーーーーあの日は、雲一つない晴天だった。
「いい天気ですね」


思えば、もうあの時から始まっていたのかもしれない。

振り向くと、陽の光に照らされて輝く彼女のこげ茶色の髪に目を奪われる。僕は息を飲んだ。彼女は天使と見紛うほどに綺麗だった。初めて見る顔。この少女は誰だ?
「君は」
「美空といいます。...あなたは?」
初めて話すはずなのに何故だか、懐かしい感じがした。安心感だった。誰にも話したことのないような秘密でさえポロッと言ってしまいそうな。
「僕は広海だ。広い海と書いて、ひろみ。女の子みたいな名前だろ」
自己紹介のつもりが自虐みたいになってしまって、自分で言っておいて後悔した。彼女の半分笑い半分困った顔が見えた。言わなきゃ良かったと思った。でも、彼女は、
「素敵な名前だと思います。私...海に行ったことがないから」
彼女は笑っていたけれど、どこか悲しそうだった。僕は何も言わなかった。重い沈黙はその一瞬だけで、彼女が別の話を始めてからは話がとても弾んだ。僕らはしばらくそこで話していた。初対面とは思えないほどたくさんだ。1人きりでここにいるのが好きだったはずなのに、あの時はいつもより楽しく感じた。だけど、時間が過ぎるのはあっという間だ。日が暮れてきた頃美空がふと立ち上がって、スカートの埃を払って。
「そろそろ帰らなきゃ。今日はありがとう。また今度ね、広海さん」
彼女の行動ひとつひとつに目を奪われた。
「...広海でいいよ」
「わかった。またね、広海」
不思議な心持ちだった。オレンジ色に変わりつつある空を見上げた。きっと、たぶん気のせいだけど、僕の思い込みだと思うけどーーー夏の匂いがした。



僕はそれから美空の姿を見ていなかった。まあ今までも見たことがなかったのだからそれが普通と言えば普通だ。一週間ほど経って、僕は美空に会えた。もっとも、僕が想像していたのとはまったく違う出会い方だったのだが。
いつも朝のSHRが始まると同時に長々と話をする無機質な声は、いつもとは違うことを口にした。
「今日は転校生を紹介する」
ドアを開け入ってきたのが美空だった。
目をまんまるにした僕と目が合って、美空はいたずらっぽい笑みをこぼした。先生はそのことには気付かない様子で、自己紹介を促した。
「末次 美空です。よろしくお願いします」