初めて、唐澤先生の自宅に行ってから、一ヶ月。
オレはあれから、佑宇真に内緒で、先生の自宅に行ったりしている。
でも、先生はキス以上のことはしてこない。
勉強を見てくれたり、夕御飯を食べたり、家まで送ってくれたりするだけ。
今、そういう関係を先生とは続けている。
佑宇真に秘密にしてるのは気が引けるが、先生とこうして、楽しく過ごすのは、正直、嬉しい。
オレはもう少しだけ、この関係を続けたかった。
(別に付き合ってるとかじゃないし、いいよね?)
まだ子供のオレはそう安易に考えていたんだ。

僕はある家の玄関の前に立っていた。
そう速水くんちだった。
(へぇー、速水くんちって、純和風の家なんだ。)
だが、かなりの豪邸だった。
「ワンッ、ワンッ!!」
突然、犬の鳴き声がして、僕はびっくりした。
「ゴメンね。びっくりしたでしょ?コラ!クロ!」
なんと、そこに立っていたのは、柊木つかさちゃんだった。
上下ジャージ姿に、黒い可愛らしい犬をリードで、引っ張っている。
「あれ?その制服、ウチの高校だよね?」
「は…はい!!」
僕は憧れのつかさちゃんと話せて浮かれていた。
「名前は?」
「えっ!?」
僕はボォッーとしてて、すぐには答えられなかった。
「…あ…あの…、優木寧々です。」
「ふうん、寧々ちゃんかぁ。私は柊木つかさ。よろしくね!仲良くしようよ!」
と、そう言って、つかさちゃんは、右手を差し出してきた。
僕は恐る恐る、その手に触れ、つかさちゃんと握手をした。
(もうこの手、洗えない。)
じーんとひたっていると、
「あっ、クロ、待ちなさいって!寧々ちゃん、またね!」
そう言うと、つかさちゃんは、犬を連れて、小走りに走って行った。

僕は速水くんちの廊下を歩きながら、キョロキョロと見回していた。
あまりにも広い家なので、物珍しかったのだ。
「なんだ?そんなにキョロキョロして?」
速水くんはギロリと僕を睨んで、そう聞いた。
「…あ…、いや…、すごい立派な家だなぁって思って……。」
「ここに入れ!」
速水くんはそう言うと、襖をスッと開けてくれ、部屋に招き入れてくれた。
速水くんが後ろ手に襖を閉めると、そこは二人だけの空間。
「あっ、そう言えば、さっき、つかさちゃんと会ったよ。」
僕は嬉しそうに言った。
「速水くんちとつかさちゃんちって、近所だったの?」
僕がそう聞くと、
「うるさい!」
そう言って、いきなり僕を抱きしめてきた。
「…は…速水くん、苦しい。離してよ。」
「魔裟斗のくせに、俺に口答えするのか。」
そう言うと、なんと、キスしようとしてきた。
僕はびっくりして、ドンッと速水くんを突き飛ばした。
「…は…速水くん、いきなり何するの!?僕、今、寧々ちゃんなんだよ。寧々ちゃんって、ああ見えて意外と純情だから、寧々ちゃんの身体で、こういうことしないで。」
と、僕がそう言うと、速水くんは、
「好きな奴とキスしたいって思うのは、当然じゃないのか?」
そう言った。
「好きな奴って、今、僕は寧々ちゃんなんだよ。」
「それでも、中身は『魔裟斗』だろう?俺、お前とキスしたい。」
速水くんはそう言って、もう一度、キスしようとした。
でも、僕は速水くんを押しのけて、拒否した。
「やっぱりダメ!」
「どうして?」
「だって、この身体は寧々ちゃんだし、女の子って、意外とファーストキスを大切にするんだよ。好きでもない人とキスしたって、寧々ちゃんが知ったら、傷つくよ。それに……。それに僕が好きなのは速水くんじゃない!」
そう言ってしまってから、ハッとする。
「『僕が好きなのは俺じゃないか……。』」
速水くんはそう呟いた。
(…ど…どうしよう……。お…怒られる。)
僕は反射的に身構えてしまった。
だけど、速水くんはそれ以上、何も言わず、怒りもしない。
しばらく黙っていた。
(あれ?何か様子が違う?)
その時、速水くんが言った。
「お前、結構、はっきりしてんのな。そういうとこ、優木寧々にそっくり。やっぱり双子だな。」
そう言った速水くんを見ると、今までに見たこともないような、何か、切なげな、悲しいような顔をしていた。
僕は一瞬、ドキッとして、罪悪感に苛まれた。
でも、やっぱり今の僕には速水くんの気持ちに答えることができない。
柊木つかさちゃんって、好きな人がいて、おまけに今は寧々ちゃんの身体だし……。
(最大級の問題は僕も、速水くんも、『男』だってこと……。)
えっ!?ちょっと待ってよ。
問題はその事だけ?
拒否はしてるけど、僕、速水くんの気持ちは嬉しいと思ってる?
しかも、『男同士』じゃなかったら、速水くんと付き合うのありかと思ってる?
(ええっ!?…そ…そんなことはないよね?だって……。)
と、そんなことを僕がグルグルと考え出した時だった。
「やっぱり、俺とは付き合えない?」
速水くんが切なげな声で聞いてくる。
「…………」
もう一度、速水くんが聞いてくる。
「俺とは付き合うのは無理?」
あまりにも、聞いたことがない、切ない声と、少し色っぽい声で言われたので、なぜだか、僕はドキドキとしていた。
(えっ!?な…何だろう?このドキドキ。だって、相手は速水くんだよ。そうだよ。男の子だよ。)
僕は勘の鋭い速水くんに、この胸のドキドキを知られたくなくて、
「…は…速水くん、ごめんなさい。今日はもう帰るね。」
そう言うと、襖を開け、急いで、玄関へと向かった。
そして、胸のドキドキと高鳴りを抑え切れぬまま、家に帰って行ったのだった。