それは、とてもありがちな話で。
吐き気が止まらない。
頭痛が治まらない。
そんな風に、
ストレスに弱くてなにに対しても脆かった。
死ぬにはどうしたらいいのか、
死ぬためにはどうするべきなのか。
そんなこと考えた挙句、
全てはうまくいくようにできている。
という場面に直面する。
友達に誘われて、
定期検診に足を運んだ時のこと。
胃のむかつきは薄々感じていたのだが、
小さいけれど悪性の腫瘍が見つかったと告げられた。
これで、全て終わりなんだろうと。
そう腹をくくるものの、
医者の口から出たのは
「安心してください。今は医療も進んでいます。胃は半分ほど摘出する形になってしまい、暫くは負担も大きいでしょうが…これくらいなら命に別状はなく手術次第でなんら変わりなく生活することはできます。」
という言葉だった。
恐ろしいくらい笑顔で、
そして自分は幸運なのだと知る。
…また、中途半端だ。
他の誰かと比べたら本当はすごく幸せなことなのに、私にはそれしか考えられなかった。
自分は中途半端だ。
でも、まてよ…?
もしかしたら、これで…
「放置…したら、癌ってどうなるんですか…?」
医者はその言葉に目を見開いた。
「放置…ですか…?」
「…はい。」
力強く頷く私に、
医者は驚きを隠せないようだった。
それもそうだろう。
ここは生きたい人が来る場所。
人の命をながらえさせる場所。
「そんなこと…このまま放っておくなんてそんな無茶なことはやめなさい。今のうちにとってしまえば、抗ガン剤の副作用もなにも、そんなに強くないうちに済みますから。」
「死ぬという、目標のために。今なら生きれそうな気がしました。」
そう言うと、医者は首をかしげる。
「今はまだ若さからなのか。この日常が腐るほど長い気がして、生きていたくなくて。いつでも死ねる。そう思いながら、逃げ道を確信しながら頑張って生きたつもりでした。それももう、限界な気がして。」
「精神、ですか。」
「はい。ひとまとめにすれば、きっとそうなんでしょうし、そう言う病院に行けば確実になんかしらの病名がつけられるだろうなって、そんなのもわかっていて尚。ダメでした。
死ねる。その目標?ですかね。それがあるなら、生きていける気がするんです。どうか。前向きに考えさせてはくれませんか。」
医者は深いため息をついて、
そうは言ってもと何かを言いかけた。
そして、
「一月。あなたは若い。進行も早い。体に無理も出てくる。一月の猶予を与えます。最低でも一月。その中でもう一度よく考えてください。」
いつ来ても構わないし、だけど、
一月後には結論をとのことだった。
一通り話すと、
白衣をまとった白髪頭の医者はまたため息をついて、お待ちしてますとだけ言った。
あれから、3週間が経とうとしている。
時間は刻一刻と迫ってくる。
というのはこのことで。
あと、7日のうちに。
決めなければいけない。
優しさも病気も、
どんなんだかわかっちゃいない。
自分がどうしたいか。
それだけのはずなのに。
中途半端なわたしはまだ、
迷っていた。
「あーちゃん、お腹すいたね。」
「生オムライス食べる?」
「なにそれ。」
「たまごかけご飯。」
「あーちゃん…………。つまんない…。」
「…うっせ、飯食い行くか。」
「照れてる照れてるかわいいなあもう…スーパー、行こうよ。食材買いに行こ。今日は作ってあげるよ。」
夕方、5時を回るころ。
2人で家を出た。
手は、繋がない。
まだ薄明るい世界で、手は繋げない。
背中に寄り添うこともしなければ、
距離を起きもしない。
隣で歩幅を合わせて歩く。
いたって普通の友達だと、
言い訳ができるように。
万が一、あーちゃんの彼女さんと、
すれ違ってしまった時のために。
2人で道を歩いて、
それはとってもこそばゆくて。
幸せなんて、長く続かない。
そうわかっていてもなお、
この状況に甘えてしまう自分がいた。
好きと嫌いはすぐそばに置いてあって、
光も闇も同時に存在していて。
世界が。
世間が私を悪だというのも、
それはもうわかりきっていた。
だれがどう見たって、
悪いのは私だ。
「あーちゃん、夕日きれいだね。」
「おう。」
「あーちゃん。」
「ん?」
「この夕焼けに染まる街のどこか片隅に、例えばビルの隅に。小さな花が咲いていたとして。」
「おう。」
「あーちゃんは、そこでどんなことを考える?」
対して、質問に意味もなく。
だけどどこか寂しくなって、
口を動かした。
「俺は…隣に座って煙草を吸う、かな。」
「なんで…?」
「なんでってそりゃあ、摘むなんてできやしないし。ただ、そこにあるだけならさ。隣にいれば俺の記憶には残ってほんの少しの幸せになる気もしたし。偽善じみてるかね。」
そう言って笑うあーちゃんにただ、
「やっぱり優しいね。」
なんて、笑って返した。
あなたの抱える弱さ。
あなたの抱える優しさ。
あなたの奏でる音。
そういう全てを。
愛してしまったから。
「おい。」
「え…?」
あーちゃんは私の腕を掴むと、
自分の方へ体を向かせた。
「どこにも、行かないよな。」
そんな、きっとなにも知りはしないはずの言葉に胸がチクっといたんで、だからこそ笑って。
「あーちゃん、見てよ。世界はこんなにきれいだよ。夕日はこんなに優しい。だけどそれは時として残酷だよね。」
「ん…。」
「この空に溶けることができたら、どれだけいいんだろう。」
「風香…?」
「なんて、さ。あーちゃん、歩こ?」
そう言って、そっと手を外すように促した。
あーちゃん。
私が戻って3ヶ月。
黙っていてごめんね。
その間の一月を、
ずっと隠しながら。
笑いながら生きてる自分も、
健気な自分も嫌いじゃないからさ。
エゴだってわかってる。
でもあなたには、
素敵な彼女さんがいて。
自分に酔う振りをしないと、
私は私でなくなってしまう。
嫌われるのだけは避けたくて、
そっと笑い続けた。
黙っていればなにも。
きっとわかりはしないから。
あなたの、彼女さんを知っている。
凛として、聡明で。
とても優しくて、美しい。
とても脆い人なのかもしれない。
だけど、その脆さが優しさのようで。
あーちゃんと、似ている。
羨ましいなんて言葉は好きじゃない。
それは、どこか見下しているようで。
なのにどうしても、
羨まずにはいられない。
彼に私は愛せない。
とても、綺麗な人。
心や、表情がとても綺麗な人。
なんて言うんだろう、
そういう見た目とかじゃなく、
綺麗な人。
彼の生まれた日、
私はそばにいなかった。
祝いたいのに。
おめでとうと伝えて、それにありがとうと笑って欲しかった気もするのに。
昔一度。あーちゃんの、
彼女さんと話したことがある。
それはいたって、
普通といえば普通。
ありがちといえばありがちで。
道端で猫が死んでいた。
車に轢かれるわけでもなく、
木陰でひっそり、死んでいた。
猫がいて、触れようと、寄ってわかった。本当に眠るように、死んでいた。
猫は、自分が死ぬ時姿を消すらしい。
それはすごく胸が痛くなるような話で。
「本当に馬鹿だけど、どうしようもない馬鹿だけど、なのに、いいやつだね。本当に。」
なんて、気づけば声をかけていた。
愛もエゴも、やっぱり変わらない。
姿を消したのもそう。
。
お前も私も、変わらないねなんて。
でも君ほどいいやつじゃないと、
とりあえず笑う。ごめんね。
猫を撫でる私に、
彼女は後ろから明るい声をかけた。
「その猫ちゃん、お姉さんの家のこですか?かわいいですね。」
それに対して私は少しだけ申し訳なさそうに首を振って、
「このこもう、しんでるんです。」
だなんて答えた。
そう言うと彼女は私の隣にしゃがみこんで、恐る恐る猫を撫でる。
「この猫ちゃん…どうするんですか…?」
「そう言う業者さんに連絡しようかと…胸が痛みますが…。」
そう答えた私を横目に、彼女は猫を抱きかかえた。それから、目で追う私に少し笑って、
「この近くの…公園にある大きな木の下に埋めてあげませんか…?」
「はい…?」
「このこ、多分飼い猫じゃないです…私も昔飼ってましたが、状態を見る限りだと…だからこそ、あの木の下に埋めてあげたくて。」
「木の下、ですか?」
「あ、あの…木の下、なら。木の下に埋めてあげれたら、栄養になって巡り巡って、命になる、んじゃないかって…。」
ああ、なるほどと。
私は笑った。
家が近いのでスコップ、シャベルを取りに行くと言って、彼女は去っていった。
その道をただ眺めては、
私にはそんな考えできなかったと。
そしてあの人は、
綺麗な。そう言う意味でとても、
綺麗な人なんだと。
そう思ってしまった。
きっと弱さも抱えて、
辛さも受け入れながら。
そしてそれは嫌味ったらしくもなくて、
何よりも愛しい。
作ったもんなんかじゃない。
根っからの優しさ。
羨ましいなんて言葉は、
あの人には失礼だと。
そう、心から思った。
猫は私が抱えて、
彼女はスコップを取りに。
10分と経たないところで、
「お待たせしました!!!」
そうはりきった声が響く。
「いえいえ、全然。」
「公園は…こちらです!」
数分も経たないくらいの裏の道。
すぐそば。
大きな木と聞いて大体予想はついていたが、なるほど。
ここは、あーちゃんの家から5分のあの公園だ。
木のそばに寄って、
目をつむって見上げる。
そのあとゆっくりと開いて、
見える世界に息を飲んだ。
雄々しくたくましく。
そこには、弱さをはねのけれるような生命の強さと、そして、同時に何かの犠牲を感じてしまった。
ここまで成長する上で、
犠牲は欠かせないのだと知る。
この猫も、栄養になる。
栄養と犠牲は何が違うのだろう。
自然の摂理、ピラミッド。
必要な淘汰。
それって人間がつけた、
定義なのかそれとも…。
花も生きていて、
野菜も生きていて。
虫も生きている。
そして、私たちも。
食べることは、なんらかの犠牲の上に成り立っていて。成長も、犠牲の上に成り立っていて。
そう考えるのもおかしくはないんだろうけれど、キリがないから皆当たり前と定義づけるのだろうか。
しばらく考えたような気になれて、飽きたような感じに包まれたので彼女の方を向いた。
隣で、手を合わせて目をつむっている。
しばらく見つめていると目があって、
ニコッと笑ったあとまた繰り返した。
私もつられるように、
猫を抱いたまま目を閉じる。