あーちゃんはいつもそっぽ向いて本を読む。同じ部屋にいても、私なんかいないように空っぽの空間で、淡々と黙々と。
「あーちゃん!あーちゃん!」
「んー」
「ねえ、あーちゃん、好きだよ。」
「んー、黙って。」
あしらわれるのも嬉しくて、
話せることが、そばに入れることがただただ嬉しくて、私もずっと下手な笑顔を見せていた。
1年前、彼を置いて私は消えた。
触れないように目を向けないように、
ひっそり息を殺して生きていた。
恋も愛も消そうと笑って、
他の男と生きていた。
彼を好きでいることが酷く辛くて逃げたと、そう周りは思っていそうでだけど、実際は、そうじゃない。
いろいろあったわけで、
だけどそれを言い訳がましく言うつもりも、受け入れてもらうつもりもない。
「ねえ、あーちゃん。」
「好き。」
「好きだよ。」
一方的な言葉が、宙で遊ぶ。
彼は、私が手を離せば追ってはこない。
そういう関係だから。
そういう、そういう。
彼にとって私は、そういう存在だから。
「あーちゃん、夏終わったのに暑いね」
「お前がバカだからじゃないの?」
「やっと口開いてくれたと思ったらこれだからほんともう…でも、そんなところも好きだよ。」
幸せだなって、ただそれだけで、
私の好きに嘘も嫌味も本気も、ひとえにないはずだった。
毎日好きだよという言葉で遊んで、
それはでも決して嘘ではないけれど、
私があなたに好きだと言って、
あなたが私をあしらって。
そんな毎日が変わったのは、
悲しいくらい清々しく晴れた、
梅雨の終わり。
雨が降り続けた東京を照らす、
夏の始まりの空。
あーちゃん、あーちゃん、
覚えてるかな。
いつも通り家に足を運んだあの日。
あーちゃんの家は一軒家で、それは両親が置いていった唯一のものらしい。
もう27にもなって、親のことなんて引きずりもしねえよと顔色ひとつに変えず言うけれど、そんなの、意地だよと言ったっけ。
どこにでもあるありきたりな話だと、
この日笑って話してた。
何度インターホンを押しても応答がないからダメ元で扉を手前に引く。
ガチャっと響く音とともに、あーちゃんの匂いが辺りに広がった。
この時はまだ天音さんと呼んでいて、
恐る恐る声を上げた。
「天音さん…?はいるよ…?」
声はしないけれど、
かすかに気配はする。
入ってすぐ見える階段を上って、手前から二つ目の右側の扉があーちゃんの部屋だ。
コンコンと、軽くノックをする。
「はい、るね…?」
得体の知れない緊張に襲われて、そっと息を飲む。
「生きてる…?」
そっと顔を覗かせると、
そこには窓の向こうを見てぼーっと体育座りをしているあーちゃんがいた。
「なにしに…来たの?」
「んー?天音さんに会いに。」
「へえ。飛んだ物好きだね。」
「天音さんはものじゃないよ。」
「へーえ、そうだね。」
皮肉じみた答えに、
あっけらかんと返した。
私が彼の前に、1年ぶりに顔を出してから一週間後のことだった。
あーちゃんはこの時ずっと、
外だけを見ていた。
こっちなんて一切みずに。
何も考えたくなさそうに。
ごめんねを、
言ってしまったらきっと溢れて止まらない。だから、本当はその背中に飛びついてしまいたいのに、ごめん、ごめんね。
言えない気持ちを押し殺して、
会話を続ける。
「天音さん、なにがあったの?話してよ、どんな天音さんも好きだよ。」
そう、言った直後だった。
「俺は、お前のことなにも知りはしないけどね。」
「え…?」
「ずっと、お前のことは何一つ知らないままだよ。お前が消えたあの日も、戻ってきた今も。俺は何一つ変わっちゃいない。」
「う…ん…」
「ずっと、元気だったの?俺が、寂しくないとでも思ってんのかよ。好きじゃないとか、好きだとかって、そういうのよくわかんねえけどさ。」
「ごめ…」
謝りかけたところで、
息を飲んだ。
気づけば目は閉じなくても勝手に落ちるくらいには涙が溢れていて、そんな中でさえ、ごめんは禁句だとわかった。
「天音さん…ごめん、ね、わかる、禁句なのもわかるんだけ、ど、ごめん、ね、ごめん…すき、だよ…?」
泣きじゃくる意味も何もわからないまま、事態はどんどんと進んでいった。
「謝ってんなよ。」
「んっ…」
あーちゃんは急に振り向くと、隣に腰を下ろしていた私の手首を思い切り握り閉めた。
「天音さん…?」
「なあ、これがどういう状況かわかってんの?」
恐る恐る出た私の言葉はいらないかのように、どんどんと言葉を発する。考える暇もないくらいに。
「好きなら、俺のこと愛しててよ。俺は振り向かないけどね。愛されない辛さ感じながら一生生きててよ。ねえ、すきなんでしょう?」
私を掴む腕に、どんどん力が入る。
「ねえ、なんとか言えよ、なあ。すきなんだろ?身体も心も俺の都合いいように差しだせや。」
軽く押されてそのまま寝そべって、私の上にまたがる彼の目からそらさずに、ゆっくりと答えた。