私がまだ13才の頃、第二次世界大戦の真っ最中だった。

米国は敵。

すべてはお国のため。

難しいことは分からなかった。

だけど贅沢は言えない。
それは分かってた。

欲しがりません、勝つまでは。

……命があるだけで幸せだと思わなければならない時代だった。

この時代には珍しく、親戚はとても心優しい人たちばかりだった。
山奥に住んでいた父の兄は、私たち家族を心配して、一緒に暮らそうと呼んでくれたのだ。
街中から山奥への疎開。
まだ私がずいぶん幼い頃の話。

とにかく食べ物がなかった。
山奥という恵まれた環境に暮らせた私たちでも、いつも空腹だった。

近くにある川で魚を狙い、山道を歩いては山菜を探し、どうしてもお腹が減ればいものつるだってみんなで食べた。

そういう、時代だった。