もしここで騒ぎが起きたら、俺は愛奈に二度と会えなくなってしまう。
 愛奈に会えなくなるのは嫌だし、愛奈が嫌な思いをするのも嫌だし、俺は本当は争いが好きじゃないんだ。
 それなのに、ピヨが愛奈をいじめる親玉の頭の上に乗っている。もし、ピヨが思いっきり突いたらどうなるのだろうか。俺は想像して震えるしかない。
 愛奈も、親玉の頭の上に乗っているピヨに気がついたようで動きをとめていた。親玉も愛奈の反応が気になったのだろう。動きをとめている。
 その時、ピヨが親玉の頭の上で羽根をばたつかせた。そして、妙な動きをはじめる。
 えっと、これは深呼吸なのか? しばらく見てわかった。これは、ラジオ体操だ!
 ――なんで、なんで知ってるの? 
 という疑問はコメディーだから無視するとして。第一ラジオ体操が終了して終わりと思いきや、続けて第二ラジオ体操に突入する。
 いや、途中の跳ぶ運動で気づかれないって、すごくないか?
 そんなピヨのラジオ体操を見ていた愛奈が、突然「ぶふっ」と、吹き出した。
「な……なにがおかしい! はやく教室に戻って、ノートを取ってこい」
 親玉が怒って顔を真っ赤にして言っているのに、その頭の上ではピヨが第二ラジオ体操を続行中だ。そこで愛奈の我慢の限界がきた。
「あはははは」
 自転車置き場に響き渡る愛奈の笑い声。愛奈の思いがけない反応に困惑したのか、詰め寄っていた三人が一歩後退する。
 その瞬間、ピヨはお立ち台の変更を決めたのか、隣の女子の頭の上に飛び移った。
 ――そろそろやばいでしょ。何で気づかれないの? ピヨさん、気配を殺せるかたなの?
 俺は気が気ではないのだが、ピヨはマイステージを獲得して絶好調の様子だ。
 ピヨは落ちかけながらも体勢を立て直し、第二ステージで阿波踊りをはじめる。
「その気色悪い笑いをやめろ」
 どんなに親玉が怒っても、ピヨが頭の上で阿波踊りをしているのだから威厳なしである。
 もはや三人の頭の中には、俺が学校に入ったこともノートのこともない。ただ、愛奈の笑いをとめることに必死になっていた。
 何を言っても愛奈が笑うのをやめないので痺れを切らしたのだろう。頭の上にピヨが乗っている、もうひとりの女子が愛奈に詰め寄る。
「やめないと……いてえ!」
 あっ、今度は髪の毛一本だけ摘まんで抜いたし。あっ、また飛び移った。
 と思ったら、着地に失敗して落ちた。そして、親玉の制服のベストの中に――。
「うわああっ、何か、何か背中に入った!」
 大騒ぎする三人を見て、愛奈はずっと笑いっぱなしである。
 背中に入った「何か」を親玉が必死に仲間たちに取れと指図するが、既にその時には、ピヨは下から逃げ出していた。そして、次はもう一人の女子の靴の紐をくわえる。一気に左右二本とも解くと、次は彼女らの足を掠めるように通り抜けた。
「うわあっ、今、今、何かが足をつかんだ!」
 怖いと思っている時ほど、ちょっとしたことでも恐怖に感じるものである。
 既に三人は見えないものへの恐怖で顔が蒼白になっている。しかも、目の前には愛奈が笑い続ける姿。何も知らない三人は、異様な事態と思い込んでいるに違いない。
 足を通り抜けた「何か」を三人は確認できないまま、声が響き渡るくらいの大騒ぎをする。
 そして、ピヨに靴のひもを解かれていた女子が動く。その途端、解けていたひもを思いっきり踏んで転んだ。
「今度は靴ひもが……靴ひもが解けてる!」
 言っていることも第三者から見たらおかしく見えるだろう。もはや、どちらがいじめをしていたのかわからない。しかも、愛奈の笑いはとまらない。
「もう嫌だ。もうここにはきたくない!」
 三人は涙目で悲鳴をあげながら自転車置き場を去っていった。
 姿が見えなくなるまで三人を見届けたピヨが鼻をならす。と、ほぼ同時に笑うのをやめた愛奈がピヨを抱きあげた。
「ありがとう、心配してくれたんだね。笑ったのは久しぶりの気がする。あの三人から逃げていた自分が馬鹿みたい。これからはすこし違った目で三人を見ることができるかも」
 そう言って愛奈はピヨの額にキスをした。
 ――ああああっ! お前、俺の愛奈ちゃんの唇を!
 いやいや、決して嫉妬しているわけじゃないぞ! 前にも言ったが、俺は下心があってここにきているんじゃないんだ。けど、なんか腑に落ちないというか。なんというか。
 そう思っていると、勝ち誇ったようにピヨに見られた。俺は確信した。
 ピヨに勝ち誇ったように見られたというのは気のせいじゃない! 気のせいじゃないニャー!
 俺の鳴き声は誰から答えが返ってくることなく、虚しく自転車置き場に反響していた。