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20時を回って店は閉店し、僕は一人でさっさとロッカーで着替えを済ませ店を出た。

貴久は早番だったらしく、18時頃に「よろしくな」と、僕に念を押して先に帰っていった。


僕の家は、職場の最寄り駅から電車を乗り継いで1時間ちょっとくらいかかった。

車で来ると1時間もかからないのだが、社内規則で基本的に公共機関を使っての通勤が原則となっていた。


最寄り駅までは、店の従業員出入り口を出てからボーリング場の駐車場の傍を歩いていき、そこから少し暗い路地に入って、そこを抜けると辺りは一気に明るくなり、駅のロータリーが見えてくるというルートだった。


この時も、僕はそのルートで駅に向かっていた。

ボーリング場の傍を歩き、少し暗い路地に入って行く。


僕はそこで人の気配を感じた。

少し歩くと、いつもは誰も居ないその暗い路地の端で立っている一人の女の子を見つけた。

僕の足は自然とそこで止まり、彼女に近づいていた。

背中で壁にもたれ、俯いて前に流れた茶髪のせいで顔は見えなかったが、小さくて華奢な体つき、迷彩柄のようなダボッとした男っぽいカーゴパンツにスニーカー、それに少し大きめの黒のTシャツ…その容姿からして間違いなくその女の子は僕の知っている人、千鶴だった。


気付いたら、僕は彼女の目の前に立っていた。

僕の靴と彼女のスニーカーとの距離は、20センチくらいしかなかった。

こんなに傍で立っていながら、僕は彼女に声をかけようかどうか迷っていた。

彼女も僕がこんなに傍で立っているのにも関わらず、その体はピクリとも動かさなかった。

声を出す気配もない。


ずいぶんと長い間、僕は彼女の傍で、まるでそこには存在しないかのように立っていた。

例えば、背後霊や守護神のようにだ。

気付いたら、僕は動けなくなっていた。

声を出すことも出来なければ、動くことも出来ない。

僕はこの空気に完全に飲み込まれていた。

どうすることも出来ない……。

ここで彼女に声を掛けるには、相当な勇気が必要な状態になっていた。