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僕が千鶴の家の前に着いた時、すでに陽は上り、朝を迎えていた。

僕は車のエンジンも切らず、勢いよく開けたドアを閉めることも忘れ、もらっていた合鍵で鍵を開けて中に入った。

薄暗い家の中はこれ以上ないくらい静まり返っていて、静か過ぎてうるさかった。

玄関に入ってすぐ横、千鶴がいつも立っていた台所にはもう何もなかった。

コンロも、鍋も、炊飯ジャーも、食器も、コップも、洗剤も、スポンジも、フキンも、雑巾も、キッチンマットも何もかも。

靴を脱ぎ、家に上がってガラス障子を開けた。

6畳の和室は思ってた以上に広くて、冷たかった。

僕は2,3歩足を踏み入れ、そこで力なく座り込んだ。

昨日まで当たり前のように、そこに置かれていたものが何一つ無くて、部屋が殺風景すぎて、僕の視界に何も映らないことが寂しすぎて、心が押しつぶされそうになった。

畳を久しぶりに触った。

千鶴はその上にカーペットを敷いて、この和室を使っていた。

ふと、よく見ていた天井を見上げると、そこにはいつもと変わらない、ナツメ球のほのかなオレンジ色の光だけが、弱々しく灯っていた。

だけど、少しづつ明るくなり始めたこの何もない部屋全体を染めるには、その光は弱すぎた。




『夏になったら……千鶴の地元の海に行くって約束……俺は信じてるから』




でも、その約束が果たされることはなかった。

千鶴がこの家に帰ってくることは、もう二度となかったのだから。