「ねぇ?私、どう?まだまだ若いでしょ?成長したあなたを見て昔を思い出したわ………今日は無理だけど時間がある時、連絡して………。」
日登美は俺のジャケットを意味深に捲るとその内ポケットに一枚のカードを差し入れた。
「あら、その指輪…結婚してたの?………でも私、気にしないから平気よ。今日はこれで我慢するわ。」
筋ばった手が俺の頬に添えられる。
何をされるのか分かっているのに体が恐怖で固まったまま動かない。
不快な匂いが鼻を突く。
トン トン トン………
「奥様。泉様の秘書の方が迎えに来られました。」
「あら、残念。………入って貰ってちょうだい!」
乱れたスカートの裾を直しながら日登美は向かいのソファーに座り直した。
「失礼します。泉CEO、至急お知らせしたいことがあります。」
佐伯秘書が近くに来て耳打ちする。
いつもの佐伯の匂いに少し安堵して、魔法が解けたように硬直した体が弛んでいく。
「体調はいかがですか?…もう直、友川社長が帰られます。」
周りに聞こえないように耳元で話した。
「佐伯………今日は体調が悪い。このまま送ってくれ。」
「大丈夫ですか?主治医に連絡しましょうか?」
「いや………………いい。」
つい、彼女の名前を呼びそうになって口ごもった。
酷く不安な時は、彼女の寝息を聞きながら体温を感じるだけで心が落ち着くのに………。
でも、花枝を呼ぶ事は出来ない。
とにかく、トラウマの原因は突き止められた。
あの日のもっと詳しいことはこの日登美と名乗る女が知っているだろう。
しかし、それを聞いたところで俺は何が出来る?
日登美を目の前にして、ただ震えてる事しか出来なかったこの俺に………。
果てしない絶望感だけが俺の心を支配していた。