「ごめんなさい」

そう、もう何度目かもわからないその言葉を
彼女は繰り返し、繰り返し言う。

「....違う、全部俺がやったことだ。」

そして、その度に俺はこの言葉を
繰り返し、繰り返し彼女に言った。


そんな俺の掌は赤い血で染まっていた。



彼女と俺は付き合っていた。

片親同士の俺達は、親がいない時間が多く
その時間の多くを共有していた。

この日も俺の家で二人過ごし、彼女を自宅まで送る。


.............はず、だった。



帰り際、靴を履きながら彼女が言った。

「私ね.......引っ越すことになったの。」

「....は?」

それは、あまりにも突然で理解に時間がかかった。


そんな沈黙のなか彼女が続ける。

「お母さんがね、転勤するかもって…だから...」

話す彼女の表情は下を向いていて読み取れない。

「......凪も行かなきゃいけないわけ?」

「.....」

「......凪はここに残ればいいじゃん。」

何も言わない彼女に次々と言葉を投げた。


「....だけど」

「凪は俺と離れて平気なの?俺は耐えられない。」

"凪は違うの?"そう俺が言えば、彼女は言った。


「私だって、私だって壱と離れたくなんか...」

そう、震える声で言った彼女の言葉に少し安心した俺。

「...じゃあ、一緒にお母さんを説得しに」

"だけどっ"

俺の言葉を遮って彼女は言った。


さっきよりも震える小さな声で。

「....お母さんには私しかいない...私にも…」

そう言った彼女は、はっと顔を上げた。


何故だか裏切られたような、そんな気持ちになった。

それは、彼女がその後に続けるはずだった言葉が
俺にはわかってしまったから。

「...なに?...私にもお母さんしかいない、って?」

「違うっ、違うのっ!」

彼女はこっちを向いて、そう今度は大きな声で言った。


「何が違うの?」

そんな彼女と反した、俺の酷く冷淡な声が響く。

「....だって、私にとってお母さんは家族で、唯一の肉親で、私にとって壱は、大切で、大好きだけど...」

「....俺は大切だけど、家族はお母さんだからって?」

「...私達はまだ高校生で..世間からしたら、まだまだ子どもで、私達だけでどうにもできないこともあるし...それに、離れてもずっと私の気持ちは変わらないよっ...簡単には会えないけど、それでも、大人になればっ...」

「俺だったら、全てを捨てでも凪といることを選ぶよ」

「...壱...」

「離れたら.....きっと、無理だよ。」

「....そんなのわかんないよ!」

「.....」

「.....ねぇ、壱」

「もう、いいよ。」

悲しいのに、悲しくて、苦しいのに。

何故か笑いが込み上げてきた。

「もういい。...引っ越せば?」

「......っ」

何も面白くもないのに笑っている俺。


そんな俺を見て、静かに彼女は泣いた。


「さよなら」

俺がそう言えば、彼女は頬を伝う涙を拭うことなく
扉を開けて、出ていってしまった。


それでも、やっぱり、
俺の虚しい渇いた笑いは止まらなくて。

そのうち、涙まで出てきちゃって。


__わかってる。わかってるんだ。


凪がお母さんをたった一人で
行かせることができない優しいやつだって。

俺達はまだ、高校生で
自分達で全てをどうにかできないってことも。

わかってる。


でも、だけど、やっぱり、


__離れたくないんだ。


凪とこれからも一緒にいるためには....

そう、考えて、考えて。


机の上にあった、あるものを掴んだ。

"それ"をギュッと握り締め、ポケットの中へといれた。

そして、俺はいつの間にか、走り出していた。

彼女の後を追って。


もう、日付が変わりそうな時間だった。

彼女がいつも通るのは川沿いにある一本道。

きっとまだ、その一本道を歩いているはず。
そう思っていたのに、その一本道には誰もいない。

田舎の夜の町は静かで、俺の荒い息が鳴り響く。

すると、小さな声が聞こえた気がした。

「...ヤッ......」

俺は声の方へと視線を向ける。

そこには川沿いの草むらに動く影が見えた。

嫌な予感がした。

あってはほしくない最悪な予感。

俺の口から出た言葉。

「....な...ぎ?」

「.....イチッ... タスケ.....」

「凪!」

俺は全力でその草むらに向かった。

そして、彼女に覆い被さる男を蹴り飛ばした。


その時のことは、よく覚えていなかった。

ただ、ただ、ひたすら殴り続けていたと思う。

「壱っ!もういいよ、この人死んじゃう! !」

そんな凪の声も耳に入らずに。


急に後ろから抱き締められた。

「壱っ!壱っ!」

そう泣きながら俺を呼ぶ、凪で俺は我に返った。

見下ろせば、顔の原型を無くし、俺が殴り続け
動かなくなってしまったものがそこにはあった。

降り下ろし続けていた手を力なく地面へと落とした。

「凪....」

「....壱、助けてくれてありがとう...」

「....大丈夫か?」

「...ん、壱のおかげ...ごめんね、壱」

そう言って、凪は俺の血に染まった手を握り締めた。

「....ごめんね、壱...ごめんなさいっ」

そう、たくさんの涙を溢しながら
何度も繰り返し、謝り続ける彼女。

「....謝るな。...凪は何も悪くない。」

「.......でも、でもっ」

「....全部、俺がいけなかったんだ。」


__そう、俺があの時

もっと違う言い方をしていれば。

凪をひとりで帰らせることなんてなかった。

そうすれば、凪がこんな目に遭うこともなかった。


「.....凪、ごめんな」

「.....何でっ!!何で壱が謝るの!?
...私のせいで壱にこんなことさせちゃってっ...」


泣き止まない彼女を俺は力の限り抱き締めた。

強く、強く。


そして、凪の耳元に顔を近づける。

「....凪」

「..な..に ? 」

「...今起こったこと、今までのこと、全部、忘れろ。」

「....え?」

「...俺のことも、全て。」

「....なに言ってるの?...ねぇ壱?」

そう言って、俺の顔を覗き込もうとする凪。

けれど、俺の抱き締める力に
敵う筈もなく、凪は身動きがとれない。

「....凪はここでのことを全部置いて、ここを出ろ。」

「そ...そんなの、無理だよ...」

「...大丈夫。」

「大丈夫なわけないよっ!..壱は?壱はどうするの?」

「.....」

「....ねぇ..壱?」

そう言う彼女をそっと腕から解放した。

「....どうせ、俺達は終わったんだ。」

「.....終わってなんて」

そう言って今度は彼女が俺の腕を掴んだ。

「...別れよう...凪。」

「...いや...いや ! ! 」

彼女は首を左右に振る。


そんな凪の手を俺はそっと外した。



___

_____


そっと私の手を外した壱。


「...さよなら、凪」


そう言って壱は伏せ目がちに、優しく笑った。


私はただ、泣いて、首を横に振ることしかできなくて。


「.....いちっ!....壱っ!」


何度呼んでも、壱は黙ったまま、優しく笑うのだ。


私は遂に、壱に背を向けて走った。


振り返らないと誓って。


何度も心のなかで、"壱" と叫びながら。


家に着き、玄関に入り、そのまま
床に崩れるように座り込んだ。


留まらない涙を拭うこともなく

そっと首もとへ自らの手を伸ばした。


そして、はっと気付く。


_壱から初めてもらったネックレスがないことを。


「.....壱っ..」



___

_____


凪の背中を見えなくなるまで見つめていた。

これで、よかったと必死に言い聞かせて。


それから、力なく地面にしゃがみ込んだ。


その時、チャリっと小さな音が鳴った。


俺はそっとポケットの中に手をいれた。


そして、どうすることも出来なかった"それ"を

強く、強く、握り締めた。



___もしも、

これが俺達の運命だったのなら

仕方のない事なのかもしれない。

けれど、またいつか、会える日が来ると


夜が明ける空を見ながら、そう願った。






*end*