まだ明るいうちに車に乗せてもらうとき、市野先生はラジオも音楽もかけない。
「今日は珍しかったな。最近保健室にいることも減ってたのに」
「そうですよねぇ……私最近は頑張ってましたよね」
「お、おう」
「不覚だなぁ」
車内に音がないとしゃべるしかない。
それがどんなにくだらないことでも、ちょっと話すか迷うようなことでも。
「不覚なんだ」
「ものすごく」
あぁうまく言葉を繋げないと、まずい。
「糸島」
まずいわ。
「少しも思い出さない?」
「……思い出すも何も」
またこの話題。
「さすがに思い出すと思ったんだけどなぁ」
「市野先生、わるいと思ってなさそうで嫌なんですけどあれ犯罪ですよ」
「でもお前目ぇ閉じたよな」
「……」
「意外と流されやすいところがある、糸島」
「もう黙ってください」
「………………」
「………………先生なんかしゃべって」
「どっちだよ」
車内に音がないとしゃべるしかない。
奪われた会話の主導権を取り戻すために嫌々口を開いた。
「訊いてもいいですか?」
「ん? どうぞ」
「私は本当に何か忘れてる?」
信号で一時停止したのを見計らってじっと先生の目を見つめる。真剣に。
言いたいことが伝わるように。
先生はそらさず、口元をにやりと笑わせてこう言った。
「付き合ってたんだよ俺たち」