そして。

その二日間がもたらした私の人生の変化は少なからずというものではなく、大きなものだった。

翔平君が事故に遭った日の翌日に控えていた、私が第一希望として考えていた企業の採用試験を辞退したのだ。

私が大学でデザインと並行して勉強をしていたのが自動販売機の設計だ。

いくつかのメーカーが設計をしているけれど、その中でも最大手の電機メーカーの採用試験に臨む予定だった。

翔平君が事故に遭ったという連絡を兄さんが受けたとき、私と兄さんは新幹線の改札を抜けようとしていた。

新幹線で二時間ほどの場所にあるその会社に向かおうとしていた私は、見送りにきてくれた兄さんがスマートフォンを片手に慌てる様子を隣りで見ながら。

『翔平君って言った? どうしたの? 翔平君に何があったの』

と大きな声をあげた。

そして、兄さんから状況を聞いたあと迷うことなく翔平君のもとへ向かうことを決めた。

同時にそれは、自分が手に入れようとしていた未来を自ら手放すということだった。

採用試験を受けるはずだった会社に電話をいれて辞退する旨を伝えたとき、迷いや後悔がなかったわけじゃない。

自動販売機の設計に携わりたいという夢は翔平君が与えてくれたといってもおかしくない夢でもあったし。

兄さんにも「試験を受けてこい」と何度も説得された。

けれど、私は怪我をした翔平君をどうしても放っておけなかった。

どれほどの怪我を負ったのか自分の目で確かめたかったし、そばについていたいと思う気持ちは何よりも強かった。

そして、私は本命だった企業の採用試験を諦めたのだ。