30分ほどたっただろうか…。
ウトウトし始めていた陽和の
耳に,小さな泣き声が聞こえた。

「ママ…ママ…」

由宇は,目を瞑ったまま,
そう悲しそうにつぶやいて
涙をポロリとこぼした。

「ゆ…由宇ちゃん…?」

陽和は驚いて由宇に話しかける。

どうやら由宇は,夢を
見ているようだった。

「ママ…行かないで…」

切なそうにそう言う由宇を
陽和は心配そうに見ながら
頭を撫でた。

「大丈夫だよ,由宇ちゃん」

そういうと,由宇は
ハッと目を覚まし,
陽和の顔を見上げる。

「あ…ひより…せんせ…」

由宇はばつが悪そうな顔をして
涙をぐっとこらえる。

その5歳児とは思えない
意地らしい姿に,陽和は
胸が苦しくなった。

「由宇ちゃん…
 私じゃ,だめかもしれないけど,
 一瞬だけ…ママだと思って…
 …思いっきり…泣いて…!」

そう陽和に言われて,
由宇は一瞬驚いた表情をしたが…
すぐに,今まで見たことも
ないほど,表情をくずして
大きな声で泣き始めた。

「ママ~~~!!」

由宇の中には,母親に記憶なんて
ほとんどないはずだ。
それでも,あの柔らかな温もりは
由宇の心の奥底にまだ
残っている。

そんな面影を追い求めて,
淋しさをじっとこらえていた
由宇の姿に,陽和も涙を流し
ながら,応える。

ただただ,ぎゅっと
抱きしめながら
由宇の気が済むまで
思いっきり,泣かせた。

少し落ち着くと,
由宇はしゃくりあげながら
陽和に問いかける。

「ねえ……
 ひ,ひより…せんせ…は…
 …どこ…にも…いかない…?」

「え…?」

「ど…こ…にも…いっちゃ…
 やだ…」

「由宇ちゃん…」

由宇はそう言って陽和に
ぎゅっと抱き付く。

陽和も由宇をぎゅっと
抱きしめ,背中をさすりながら
優しく囁く。

「大丈夫。
 どこにも行かないよ。
 由宇ちゃんが,
 大きくなるまで,
 ずっとそばにいるよ。

 朔ちゃんと3人で,
 由宇ちゃんが,
 大きくなるまで,
 ずっとずっと
 いっしょにいよう」

陽和は,自然とそんな言葉を
紡いでしまった自分に
少しだけ赤面した。

だけど…それは,紛れもない
陽和の本心だった。

由宇と朔と,3人で
幸せになりたい。

この数か月,その思いは
どんどんどんどん膨らむ
一方だった。

由宇はその言葉を聞いて
安心したのか,
涙を流したまま
だけど…さっきと違って,
穏やかな表情で,
陽和の胸の中で
すやすやと眠り始めた。