結果としてシャディアの演奏は大成功だった。

もう絶えたと思われていたリリーの宮廷音楽がこうしてまた聴けたこと、その音色が変わらずに美しかったことが称えられて大きな拍手に包まれた。イザークを驚かせたのはシャディアのその技術だった。

シャディアはドーラ以外の弦楽器も弾き、宮廷楽団の輪に入ってその後も音楽を奏で続け夜会に彩りを与え続けたのだ。弾みたくなるような軽快な音楽が得意なようで、彼女自身もとても楽しそうに演奏していた。その姿は多くの人々を魅了したようだ。一曲一曲が終わるたびに拍手が送られる。それはまるでいつかの酒場のような雰囲気で今日ばかりは夜会の様子もいつもと異なっていた。

なにより国王と王妃が楽しそうに弾むダンスをする姿が見られたのだ。それには会場もどよめいたが、誘われて会場に引っ張り出された貴族たちもなんだかんだと楽しんでいた様だった。

若く美しい新しい宮廷音楽家を誰もが歓迎した。それは特に若い貴族の目に留まったようで、次の楽団と交代をし仕事の手を休めたシャディアの元に多くの子息が話しかけに訪れたのだ。シャディアの横には楽団長の男性が付いているが、身分が高い相手となればなかなか相手をするのも難しい。何よりその数の多さにまず手を焼いているようだった。

「心中穏やかではないか?イザーク。」
「…エリアス様。」
「今にも斬りかかりそうな顔をしているがな。」
「しておりません…。」

挨拶の合間、エリアスが声を落としてイザークを揶揄い始める。同じくエリアスの横で控えているトワイも主人と同意見だったようで口角が上がっていた。

「まあ、友人の為だ。俺も人肌脱ごうじゃないか。」

友人とイザークを位置付けるくすぐったさは相変わらずなれない。恐れ多くもエリアスは身分を超えてイザークを友人と称し言葉を交わしてくることが多いのだ。勿論公私の区別をしっかりとわきまえている彼はごく内輪の人間しかいない時にだけこの言い方をする。

王子たる振る舞いを見せつつ、エリアスはマントを翻してシャディアの方へと足を進めた。彼女の所に集まっていた人々もエリアスの存在に気が付いたようで道が出来ていく。

「シャディアどの、素晴らしい演奏だった。」
「エリアス殿下っ…あ、ありがとうございます。」

エリアスからの直接の言葉にシャディアは慌てて頭を下げた。何事だろうと慌てて上目遣いをすれば傍に控えていたイザークと目が合う。ただそれだけが嬉しくてシャディアははにかむような笑みを浮かべて再び目を伏せた。その姿に目を細めたのはイザークだけではない。

「殿下、シャディアどのとお話してもよろしいでしょうか。」

この機を逃すまいとイザークは名乗りを上げた。思いのほか積極的に動いたことに驚いたのはエリアスだけではなかったようだ。

「ほう。私はかまわない、シャディアどのはどうだろうか。」
「は、はい!あの…。」
「私はシュバルツ伯爵家次男、イザーク・シュバルツと申します。ぜひあちらで飲み物でも。」

イザークの自己紹介にシャディアはこれ以上ないくらいに驚いた顔を見せた。そう、シャディアはいまこの時までイザークが伯爵家の人間だと知らなかったのだ。

「イザーク、今これより今日の任務を解いてやろう。私も兄上と話をしたら下がる。」
「は、ありがとうございます。シャディアどの、手をどうぞ。」
「はい…。」

そう言うなりイザークはシャディアの手を取って会場の奥へと進んでいく。呆然とする面々にエリアスはお得意の明るい口調で詫びたのだ。

「悪いな、方々。私も大事な友人の手助けをしたかったのだよ。」

そんなエリアスの声も聞こえないほど歩みを進めた二人はテラスに出てようやく一息を吐いた。会場から漏れる灯りだけのこの場所はほの暗く、それはいつかあの酒場で踊りを明かした夜とどこか似ていた。

「…ビックリした。」
「何が?」
「イザークさんが伯爵令息だなんて初めて知ったんだけど。」
「ああ…。あまり使わないからな。」
「使わないって何!?」

イザークを恨めしく睨んでいたつもりが、使わないというよく分からない発言にシャディアは頭の中が真っ白になる。自分の家を使わないという事があるのだろうか。

「俺はエリアス殿下の騎士だからな。この身を表すのは今はそれだけでいい。」
「…そういうものなの?」
「少なくとも俺はそう思っている。」

迷いがない言葉はエリアスについて語ったあの時の真っすぐなまなざしを思い出させた。イザークはエリアスを敬愛し、エリアスを支えることが全てだと全身で表していたのだ。

「…だから私が誰か位の高い人紹介してって言った時殿下しか思い浮かばなかったの?」
「いや、シュバルツ家は武の人間の集まりだから…芸術というものに向いていない、というのもあった。」
「ふふ…何それ。」

ふわりと笑うシャディアがイザークの心を震わす。そんなイザークの心中を知らないシャディアはその頬をさらに赤く染めて恥ずかしがりながら言葉を続けた。

「イザークさん、このネックレスありがとう。このおかげですっごく勇気が出たんだ。ドーラを見るたびにイザークさんを感じられて、大丈夫だって言ってくれてるような気がして。」

愛おしそうにネックレスに手を当てるその姿はまるで柔らかな一輪の花のようだ。儚いようでいて逞しい、人の心を惹きつけて離さないシャディアはそんな魅力を持っていた。

「私に出来る最高の演奏が出来たと思う。ありがとう、イザークさんのおかげだよ。」
「…喜んでくれたのなら良かった。」
「嬉しかったの、すごく。…私はイザークさんから貰ってばかりだね。何が返せるかな。」

寂し気に微笑むシャディアは少し考えるように視線を落としてから月夜を見上げる。誘われるようにイザークも見上げれば満点の星空が二人を迎えてくれた。

「私…ここに来れてよかった。ドーラも、リリーの血も絶やさずに守っていける。」
「…ああ。」
「演奏が終わったあとね、ぜひウチでも披露してほしいってたくさんお声がけをいただいたの。」
「令息からの食事の誘いも?」
「…うん、そうだね。何人か…。」
「それは穏やかじゃないな…俺の心が。」

そう呟くとイザークは一歩踏み出しシャディアとの距離を縮める。そしてシャディアの右手を取ってその甲に口づけた。一連の行動を呆然として見つめるシャディアは、イザークから向けられる強い眼差しに射抜かれたままだ。