あれから数日が経ち、シャディアの身体から包帯の数が少なくなり少しずつ動けるようになってきた。医師の許可がおり、シャディアは相変わらず部屋の中で過ごすことを中心にしながらも時々ドーラの音色を響かせている。
窓を開け放ち城内に広がる音楽は人々の心を魅了した。まだ正式にシャディアの事を知らせていないため、ちょっとした噂になっていることを彼女は知らない。
「医師から報告は受けているがな。イザーク、お前から見てシャディアどのの様子はどうだ?」
「はい。随分と落ち着いてきたようです。」
「…本当か?」
いつもの様に執務室で仕事を進めるエリアスが3人になった瞬間に出した質問だった。その手には確かにシャディアについての医師の報告書がある。トワイも気になっているようで手を止めてイザークの方を見つめた。
「…お前が毎晩シャディアの所に通っていると聞いている。」
「ご存じでしたか。」
「女官長からな。一応は人目を忍んでいるようだが…女官長には報告義務があるからな。お前も律義に女官長へ筋を通しているようじゃないか。」
「そうですね、念の為に。」
この会話だけを聞けばイザークの軽率な行動の様にも聞こえる。しかしイザークがどういう人間であるか知っているトワイはその意味を捉えきれずに目を細めていた。
「…夜になると思い出すようで。少しでも落ち着くようにと…傍にいるようにしています。」
「…囚われていた時の事か?」
「はい。小さな物音にも反応をしてしまうようで、灯りを用意して彼女が眠れるまで話をしています。」
「あまり部屋から出ていないと聞いているが。」
「そうですね、まだ包帯が完全に取れておりませんから。でもあと一週間もすれば大丈夫だろうと言われたと本人が言っていました。許されるのであれば温室に行ってみたいそうです。」
思いの外前向きな言葉が出たことにエリアスは一瞬目を丸くしたが、思い当たることがあってすぐに口角を上げた。どうやらその意地悪な笑みにイザークも心当たりがあるようだ。
「お前が毎日花を一輪摘んでいるという、あの温室をか?」
「…そのようですね。」
「…ああ!あの!?」
イザークとエリアスの掛け合いにようやく何かを思い当たったトワイが感嘆の声を上げた。
「エリアス様、許可を出してあげては?」
「ああ、勿論だ。好きに見学するといい、話は通しておこう。母上もさぞお喜びになる。」
「…はい。有難いお言葉です。」
花壇や温室の責任者は王妃が行っている、それを踏まえた上でのエリアスの言葉だったがイザークは既に温室で王妃と対面しており少し揶揄われた後だった。どうやらイザークの複雑な表情にエリアスも勘付いたようだ。
「さては母上には既に見つかったか。」
「はい…シャディアに会える日を楽しみにしていると伝言も預かっております。驚くと思うので本人にはまだ告げておりませんが。」
「そうだな、もし聞いたら今後の花は遠慮するだろうな!まだ伏せておいた方がいい。という事は花も好きにするように許可をいただいているだろう?」
「はい。一本と言わず何本でもと薦めていただきましたが…飾りきれないので失礼ながらお断りさせていただきました。」
「母上なら理解しているさ。」
「まあ良かったじゃないか、イザーク。」
「ええ、まあ。」
王妃とのやり取りを思い出して疲れた表情を見せるが、結果としてシャディアには喜んでもらっている。毎日一本ずつにしたのは庭師の助言のおかげだった。花束を作ってもらった次の日、またお願いする為に出向いた際に言われたのだ。もし毎日届けるつもりならば一輪ずつの方が喜ばれると。
「仲睦まじいな。溜まった仕事を終えてからの訪問は大変だろうに、イザークがこんなになるとは思いもしなかった。やはり恋愛は人を変えるな。」
「そうだな、トワイと心配してたんだぞ?イザークは身を固めずに晩年を過ごすんじゃないかと。」
「…そうですか。」
「シャディアどのが回復をしたらぜひ兄上たちにも会ってもらいたい。その時はイザーク、お前の婚約者という形でいいのか?」
エリアスの物言いは揶揄いが混じったものだった。ただその含みには、そうなるようにという応援も入っていると伝わっているのだがイザークの表情はどうにも冴えない。
「はは、冗談だ。とはいえ恋人というだけでは心許な…。」
「エリアス様。」
楽しそうに笑うエリアスの横からトワイが遮るような声を出した。その声の温度の低さに思わず目を向ければトワイの表情が強張っている。というよりも、バツが悪そうな微妙な顔をしていた。何かと思い、トワイの視線の先を辿ってイザークを見れば彼の方がもっと居心地が悪そうな表情をしている。
その目の泳ぎ方にエリアスは顔を引きつらせた。
「お前…まさか。」
「…イザーク。」
「…まだ…特に名前が付くような関係ではありません。」
「はあああああああ!?」
エリアスの全否定を表す叫び声とトワイの呆れたため息はほぼ同時にイザークへ向けられた。遠慮なく自分に浴びせられる非難の声をイザークは黙って受け止める。
「何故だ!?攫われる前から既にそういう関係だったんじゃないのか!?」
「…いえ。」
「だったら何…。」
「殿下。」
盛り上がるエリアスを止めるべくトワイの冷静な声が放たれた。また一つトワイがため息を吐けば、今度はエリアスも言葉を詰まらせる。
「今はまだ…イザークはシャディアどのの気持ちを優先させているのでしょう。」
「む…確かにそうか。すまん…無神経な事を口走った。」
「いいえ、エリアス様は何も。」
そう、イザークはまだ不安で震えているシャディアの心に付け入るようなことはすまいと自制しているのだ。今はただ彼女が安心できるように支えていきたい、それだけを考えて接している。
「だがな、これは男としての意見だ。聞けよ、イザーク。」
「…はい。」
「シャディアどのを兄上たちに紹介するならまだいい。あの方たちは話が分かるからな、どれだけ見初められたとしてもお前の為に遠慮してくださるだろう。だが披露目の場だとそうはいかん。」
「そうですね。」
「国中の貴族が集まりシャディアどのを見た時、彼女を見初めて声をかける者がいるだろう。さすがにそこまで抑えることは出来んぞ。あっさり攫われても文句は言えん。」
エリアスの言葉にトワイも頷いているのが見えた。そう、イザークもそれは分かっているのだ。
「自分の物にしたいなら手を抜かん事だな。」
「…はい。」
「そうだ、大事な友の為だ。いい助言をしてやろう。」
「…はい?」
肝に銘じようとイザークが気を引き締めた途端に聞こえてきた声は間違いなく弾んでいた。顔を上げれば新しいおもちゃを見つけた子供の様にキラキラと目を輝かせるエリアスとトワイの笑顔が見える。
「え?」
窓を開け放ち城内に広がる音楽は人々の心を魅了した。まだ正式にシャディアの事を知らせていないため、ちょっとした噂になっていることを彼女は知らない。
「医師から報告は受けているがな。イザーク、お前から見てシャディアどのの様子はどうだ?」
「はい。随分と落ち着いてきたようです。」
「…本当か?」
いつもの様に執務室で仕事を進めるエリアスが3人になった瞬間に出した質問だった。その手には確かにシャディアについての医師の報告書がある。トワイも気になっているようで手を止めてイザークの方を見つめた。
「…お前が毎晩シャディアの所に通っていると聞いている。」
「ご存じでしたか。」
「女官長からな。一応は人目を忍んでいるようだが…女官長には報告義務があるからな。お前も律義に女官長へ筋を通しているようじゃないか。」
「そうですね、念の為に。」
この会話だけを聞けばイザークの軽率な行動の様にも聞こえる。しかしイザークがどういう人間であるか知っているトワイはその意味を捉えきれずに目を細めていた。
「…夜になると思い出すようで。少しでも落ち着くようにと…傍にいるようにしています。」
「…囚われていた時の事か?」
「はい。小さな物音にも反応をしてしまうようで、灯りを用意して彼女が眠れるまで話をしています。」
「あまり部屋から出ていないと聞いているが。」
「そうですね、まだ包帯が完全に取れておりませんから。でもあと一週間もすれば大丈夫だろうと言われたと本人が言っていました。許されるのであれば温室に行ってみたいそうです。」
思いの外前向きな言葉が出たことにエリアスは一瞬目を丸くしたが、思い当たることがあってすぐに口角を上げた。どうやらその意地悪な笑みにイザークも心当たりがあるようだ。
「お前が毎日花を一輪摘んでいるという、あの温室をか?」
「…そのようですね。」
「…ああ!あの!?」
イザークとエリアスの掛け合いにようやく何かを思い当たったトワイが感嘆の声を上げた。
「エリアス様、許可を出してあげては?」
「ああ、勿論だ。好きに見学するといい、話は通しておこう。母上もさぞお喜びになる。」
「…はい。有難いお言葉です。」
花壇や温室の責任者は王妃が行っている、それを踏まえた上でのエリアスの言葉だったがイザークは既に温室で王妃と対面しており少し揶揄われた後だった。どうやらイザークの複雑な表情にエリアスも勘付いたようだ。
「さては母上には既に見つかったか。」
「はい…シャディアに会える日を楽しみにしていると伝言も預かっております。驚くと思うので本人にはまだ告げておりませんが。」
「そうだな、もし聞いたら今後の花は遠慮するだろうな!まだ伏せておいた方がいい。という事は花も好きにするように許可をいただいているだろう?」
「はい。一本と言わず何本でもと薦めていただきましたが…飾りきれないので失礼ながらお断りさせていただきました。」
「母上なら理解しているさ。」
「まあ良かったじゃないか、イザーク。」
「ええ、まあ。」
王妃とのやり取りを思い出して疲れた表情を見せるが、結果としてシャディアには喜んでもらっている。毎日一本ずつにしたのは庭師の助言のおかげだった。花束を作ってもらった次の日、またお願いする為に出向いた際に言われたのだ。もし毎日届けるつもりならば一輪ずつの方が喜ばれると。
「仲睦まじいな。溜まった仕事を終えてからの訪問は大変だろうに、イザークがこんなになるとは思いもしなかった。やはり恋愛は人を変えるな。」
「そうだな、トワイと心配してたんだぞ?イザークは身を固めずに晩年を過ごすんじゃないかと。」
「…そうですか。」
「シャディアどのが回復をしたらぜひ兄上たちにも会ってもらいたい。その時はイザーク、お前の婚約者という形でいいのか?」
エリアスの物言いは揶揄いが混じったものだった。ただその含みには、そうなるようにという応援も入っていると伝わっているのだがイザークの表情はどうにも冴えない。
「はは、冗談だ。とはいえ恋人というだけでは心許な…。」
「エリアス様。」
楽しそうに笑うエリアスの横からトワイが遮るような声を出した。その声の温度の低さに思わず目を向ければトワイの表情が強張っている。というよりも、バツが悪そうな微妙な顔をしていた。何かと思い、トワイの視線の先を辿ってイザークを見れば彼の方がもっと居心地が悪そうな表情をしている。
その目の泳ぎ方にエリアスは顔を引きつらせた。
「お前…まさか。」
「…イザーク。」
「…まだ…特に名前が付くような関係ではありません。」
「はあああああああ!?」
エリアスの全否定を表す叫び声とトワイの呆れたため息はほぼ同時にイザークへ向けられた。遠慮なく自分に浴びせられる非難の声をイザークは黙って受け止める。
「何故だ!?攫われる前から既にそういう関係だったんじゃないのか!?」
「…いえ。」
「だったら何…。」
「殿下。」
盛り上がるエリアスを止めるべくトワイの冷静な声が放たれた。また一つトワイがため息を吐けば、今度はエリアスも言葉を詰まらせる。
「今はまだ…イザークはシャディアどのの気持ちを優先させているのでしょう。」
「む…確かにそうか。すまん…無神経な事を口走った。」
「いいえ、エリアス様は何も。」
そう、イザークはまだ不安で震えているシャディアの心に付け入るようなことはすまいと自制しているのだ。今はただ彼女が安心できるように支えていきたい、それだけを考えて接している。
「だがな、これは男としての意見だ。聞けよ、イザーク。」
「…はい。」
「シャディアどのを兄上たちに紹介するならまだいい。あの方たちは話が分かるからな、どれだけ見初められたとしてもお前の為に遠慮してくださるだろう。だが披露目の場だとそうはいかん。」
「そうですね。」
「国中の貴族が集まりシャディアどのを見た時、彼女を見初めて声をかける者がいるだろう。さすがにそこまで抑えることは出来んぞ。あっさり攫われても文句は言えん。」
エリアスの言葉にトワイも頷いているのが見えた。そう、イザークもそれは分かっているのだ。
「自分の物にしたいなら手を抜かん事だな。」
「…はい。」
「そうだ、大事な友の為だ。いい助言をしてやろう。」
「…はい?」
肝に銘じようとイザークが気を引き締めた途端に聞こえてきた声は間違いなく弾んでいた。顔を上げれば新しいおもちゃを見つけた子供の様にキラキラと目を輝かせるエリアスとトワイの笑顔が見える。
「え?」