いつもより早めに切り上げた話し合いはまだ休暇中だというイザークを考慮したからだ。傷が癒えた頃にこれからの話をしたいというエリアスの伝言を受け取ってイザークは再びシャディアのいる客室に向かう。
「シャディア、体調はどうだ?」
「イザークさん。うん、治療もしてもらったし湯あみもさせてもらったし、至れり尽くせりだよ。」
部屋を訪れれば予想よりも元気なシャディアがイザークを迎え入れた。彼女の言葉に反して身体中に包帯やガーゼが当てられて外傷の多さを物語っている。彼女の服も着脱しやすそうな怪我人用のものを準備されていたようだ。
「…大丈夫。見た目より意外と軽傷なの。」
イザークが言葉を詰まらせていることに気が付いたシャディアは何でもないように優しい声で伝えてくれる。イザークがこの部屋を出た時、シャディアはまだ昨日の姿のままだった。ようやく落ち着いた彼女を医師と女官に預け、一仕事を終えて戻ってきてみればシャディアはすっかり怪我人仕様に変わっていたのだ。
それもその筈だった。本当はすぐにでも着替えと手当をしてあげたかったくらいだったのだ、でもまずはシャディアの気持ちを落ち着かせることを優先させたかった。少し時間を置いたことで怪我が悪化していないか心配だったがきっと本人に聞いても教えてはくれないだろう。今頃エリアスの元に届いている医師の診断報告を見せてもらおうとイザークは決めた。
「…痛みは?」
「少し。でも痛み止めを出してもらってるから大丈夫。」
「…そうか。」
「うん。」
この客室は日の光が入って過ごしやすいように作られていた。ベッドの向こう側にある大きな窓はシャディアの心を癒してくれるだろう、広い空が見えるようになっている。そして窓の近くには彼女の大切なドーラが飾られていた。
「本当ならドーラも弾けるくらいだと思うんだけどね。しばらくは何もしないでって釘を刺されちゃった。私我慢できるかな?」
それでもベッドの上にいるシャディアは安静にするようにと医師に言われたことを守っているようだ。そんな彼女の近くまで行き、後ろ手にしていたものをシャディアの方へと差し出した。
「我慢して早く良くなってくれ。」
イザークが渡したものは色鮮やかな花束だった。エリアスの許可を得て城内の温室から庭師に切り取ってもらったばかりのものだ。赤や黄色、白にオレンジとイザークが抱いているシャディアをイメージした色で作ってもらったことを彼女は知らないだろう。
「これ…。」
「見舞いだ。気に入ってくれると…。」
「嬉しい!すっごく嬉しいよ!」
遠慮がちに告げるイザークの言葉に被せるようにシャディアは自分の気持ちを伝えた。最初こそ勢いがあったものの、少しずつ噛みしめるような声にイザークも嬉しくなる。
「ありがとう、イザークさん。お花も…助けてくれたことも。」
もらったばかりの花束を愛おしそうに抱きしめてシャディアはそう告げた。両手首に見える包帯が昨日の事を鮮明に思い出させる。イザークがシャディアに近寄った時、彼女は拒絶の悲鳴を上げた。勿論それはイザークだと気付いていなかったからで、その証拠にシャディアは近寄ったのがイザークだと分かった瞬間抱き着いてきたのだ。
ただあの時のシャディアの悲鳴がイザークの脳裏に刻まれて頭から離れなかった。あの声は恐怖と絶望と拒絶を含んでいる、そんな激しい感情を含んだ声をイザークは何度か戦いの中で聞いたことがあった。シャディアはおおよそ死に近い恐怖を味わったという事だ、それがイザークの心に深く刺さった。
「…いや。」
そう答えることが精一杯だった。確かにシャディアの命は助かり、今ここで安全な場所にいることが出来ている。それでももっと自分がしっかりしていたらシャディアをあんな目に合わせることも無かった筈だと自分を責めずにはいられなかった。感謝される事なんて何もしていない。
「イザークさん、そんな顔しないでよ。…私、ありがとうって言ったのに。」
「ああ、でも…俺が…。」
「イザークさんに出会えたから私はここにいるんだよ。あの時、私を見捨てないで一緒に馬車に乗ってくれた時から私はずっとイザークさんに感謝してる。」
「…それでも。」
「イザークさんがいたから、私は助かったんだよ。」
強く言い切るシャディアに促されるようにイザークは俯いていた顔をようやく上げた。目を合わすとシャディアは少し寂し気な笑みを浮かべている。
「私、子孫を残す為ならその辺のお兄さん捕まえるとか…位の高い人の愛人になってもいいとか…すごく滅茶苦茶な事言ってたでしょ?あれは半分本気だったんだけど…いざ自分がそうなりそうだった時すごく怖かった。」
思うところがあるシャディアは視線を鮮やかな花束に落として言葉を紡いだ。
「どんなに状況が変わっても…やっぱり自分が好きな人以外は絶対嫌だって、すごく辛くて怖くて。あんまり覚えてないけど逃げようとして必死に抵抗したの。」
「…うん。」
「そしたらね、イザークさんがくれたリボンが見えたの。」
そのベッドサイドのテーブルに畳んで置かれていた。その事にイザークが気付いたのはシャディアが視線をリボンに移したからだ。
「力が湧いたんだ。もう駄目かもしれないって時にリボンが力を貸してくれたような気がして、イザークさんの名前を呼んだの。そしたら矢が何本も射られて…。」
「…俺の名前を?」
「服はビリビリだったけど、それ以上は無かったよ。だからイザークさんが守ってくれたんだって私は思ってる。」
イザークは泣きそうになるのを堪えた表情で首を横に振った。それはシャディアのせいだ。何でもないように明るく振舞ってイザークを慰めようとしている、それが分かったからイザークは居た堪れなくなったのだ。
「シャディアが怖い思いをしたことには変わりない。あの時俺は隣に居たんだ。」
「…隣に居てくれたからだよ。」
「きみを守り切れなかった。」
「守ってくれたよ?助けてくれた。イザークさんに出会えていなかったら…私は誰にも知られることなく、助けが来ることもなく同じ様な目に合ってた。…それは私が一番よく分かってる。」
シャディアの言葉はきっと彼女の本心なのだとイザークは悟った。シャディアはイザークがどれだけ自分を責めても悔やんでも、怒ったり責めたりしないだろう。シャディアの中でもう結論が出ていたのだ。
「イザークさんに出会えたから私は一番安全な道を選べたの。」
まっすぐに見つめるシャディアは嘘偽りのない笑みを浮かべていた。それはとても綺麗で、イザークは身体の中心から沸き上がった感情の反動で思わず一歩を踏み出しそうになる。
「…俺がこれ以上近付いたら怖くならないか?」
「イザークさんは怖くない。」
シャディアが落ち着きを取り戻した今、もしかしたら男性に対して恐怖心のようなものを抱いているかもしれない。イザークはシャディアの部屋を尋ねる前に女官からそう伝えられた。現にシャディアの診察や身の回りは全て女性が担当するようにと指示があったようだ。だからイザークも扉に近いベッドの方から必要以上に近付かなかった。
シャディアの許しを得た今、彼女の近くに回り込んで身を屈める。シャディアは花束を横に置いてイザークの方へ両手を伸ばした。それに応えるようにイザークはゆっくりとシャディアを優しく抱きしめる。
「ありがとう、イザークさん。…お花も、助けてくれたことも。」
もう一度同じ言葉をシャディアはイザークへ渡した。
「…ああ。どういたしまして。」
シャディアの意図を汲み取ったイザークは今度こそ彼女が欲しかっただろう言葉を返してやる。すると腕の中からシャディアの嬉しそうな笑い声が聞こえてきた。昨日と同じように頭を摺り寄せてくるシャディアの頭を優しく撫でてやり、二人は穏やかな時間を再び過ごすことが出来たのだ。
「シャディア、体調はどうだ?」
「イザークさん。うん、治療もしてもらったし湯あみもさせてもらったし、至れり尽くせりだよ。」
部屋を訪れれば予想よりも元気なシャディアがイザークを迎え入れた。彼女の言葉に反して身体中に包帯やガーゼが当てられて外傷の多さを物語っている。彼女の服も着脱しやすそうな怪我人用のものを準備されていたようだ。
「…大丈夫。見た目より意外と軽傷なの。」
イザークが言葉を詰まらせていることに気が付いたシャディアは何でもないように優しい声で伝えてくれる。イザークがこの部屋を出た時、シャディアはまだ昨日の姿のままだった。ようやく落ち着いた彼女を医師と女官に預け、一仕事を終えて戻ってきてみればシャディアはすっかり怪我人仕様に変わっていたのだ。
それもその筈だった。本当はすぐにでも着替えと手当をしてあげたかったくらいだったのだ、でもまずはシャディアの気持ちを落ち着かせることを優先させたかった。少し時間を置いたことで怪我が悪化していないか心配だったがきっと本人に聞いても教えてはくれないだろう。今頃エリアスの元に届いている医師の診断報告を見せてもらおうとイザークは決めた。
「…痛みは?」
「少し。でも痛み止めを出してもらってるから大丈夫。」
「…そうか。」
「うん。」
この客室は日の光が入って過ごしやすいように作られていた。ベッドの向こう側にある大きな窓はシャディアの心を癒してくれるだろう、広い空が見えるようになっている。そして窓の近くには彼女の大切なドーラが飾られていた。
「本当ならドーラも弾けるくらいだと思うんだけどね。しばらくは何もしないでって釘を刺されちゃった。私我慢できるかな?」
それでもベッドの上にいるシャディアは安静にするようにと医師に言われたことを守っているようだ。そんな彼女の近くまで行き、後ろ手にしていたものをシャディアの方へと差し出した。
「我慢して早く良くなってくれ。」
イザークが渡したものは色鮮やかな花束だった。エリアスの許可を得て城内の温室から庭師に切り取ってもらったばかりのものだ。赤や黄色、白にオレンジとイザークが抱いているシャディアをイメージした色で作ってもらったことを彼女は知らないだろう。
「これ…。」
「見舞いだ。気に入ってくれると…。」
「嬉しい!すっごく嬉しいよ!」
遠慮がちに告げるイザークの言葉に被せるようにシャディアは自分の気持ちを伝えた。最初こそ勢いがあったものの、少しずつ噛みしめるような声にイザークも嬉しくなる。
「ありがとう、イザークさん。お花も…助けてくれたことも。」
もらったばかりの花束を愛おしそうに抱きしめてシャディアはそう告げた。両手首に見える包帯が昨日の事を鮮明に思い出させる。イザークがシャディアに近寄った時、彼女は拒絶の悲鳴を上げた。勿論それはイザークだと気付いていなかったからで、その証拠にシャディアは近寄ったのがイザークだと分かった瞬間抱き着いてきたのだ。
ただあの時のシャディアの悲鳴がイザークの脳裏に刻まれて頭から離れなかった。あの声は恐怖と絶望と拒絶を含んでいる、そんな激しい感情を含んだ声をイザークは何度か戦いの中で聞いたことがあった。シャディアはおおよそ死に近い恐怖を味わったという事だ、それがイザークの心に深く刺さった。
「…いや。」
そう答えることが精一杯だった。確かにシャディアの命は助かり、今ここで安全な場所にいることが出来ている。それでももっと自分がしっかりしていたらシャディアをあんな目に合わせることも無かった筈だと自分を責めずにはいられなかった。感謝される事なんて何もしていない。
「イザークさん、そんな顔しないでよ。…私、ありがとうって言ったのに。」
「ああ、でも…俺が…。」
「イザークさんに出会えたから私はここにいるんだよ。あの時、私を見捨てないで一緒に馬車に乗ってくれた時から私はずっとイザークさんに感謝してる。」
「…それでも。」
「イザークさんがいたから、私は助かったんだよ。」
強く言い切るシャディアに促されるようにイザークは俯いていた顔をようやく上げた。目を合わすとシャディアは少し寂し気な笑みを浮かべている。
「私、子孫を残す為ならその辺のお兄さん捕まえるとか…位の高い人の愛人になってもいいとか…すごく滅茶苦茶な事言ってたでしょ?あれは半分本気だったんだけど…いざ自分がそうなりそうだった時すごく怖かった。」
思うところがあるシャディアは視線を鮮やかな花束に落として言葉を紡いだ。
「どんなに状況が変わっても…やっぱり自分が好きな人以外は絶対嫌だって、すごく辛くて怖くて。あんまり覚えてないけど逃げようとして必死に抵抗したの。」
「…うん。」
「そしたらね、イザークさんがくれたリボンが見えたの。」
そのベッドサイドのテーブルに畳んで置かれていた。その事にイザークが気付いたのはシャディアが視線をリボンに移したからだ。
「力が湧いたんだ。もう駄目かもしれないって時にリボンが力を貸してくれたような気がして、イザークさんの名前を呼んだの。そしたら矢が何本も射られて…。」
「…俺の名前を?」
「服はビリビリだったけど、それ以上は無かったよ。だからイザークさんが守ってくれたんだって私は思ってる。」
イザークは泣きそうになるのを堪えた表情で首を横に振った。それはシャディアのせいだ。何でもないように明るく振舞ってイザークを慰めようとしている、それが分かったからイザークは居た堪れなくなったのだ。
「シャディアが怖い思いをしたことには変わりない。あの時俺は隣に居たんだ。」
「…隣に居てくれたからだよ。」
「きみを守り切れなかった。」
「守ってくれたよ?助けてくれた。イザークさんに出会えていなかったら…私は誰にも知られることなく、助けが来ることもなく同じ様な目に合ってた。…それは私が一番よく分かってる。」
シャディアの言葉はきっと彼女の本心なのだとイザークは悟った。シャディアはイザークがどれだけ自分を責めても悔やんでも、怒ったり責めたりしないだろう。シャディアの中でもう結論が出ていたのだ。
「イザークさんに出会えたから私は一番安全な道を選べたの。」
まっすぐに見つめるシャディアは嘘偽りのない笑みを浮かべていた。それはとても綺麗で、イザークは身体の中心から沸き上がった感情の反動で思わず一歩を踏み出しそうになる。
「…俺がこれ以上近付いたら怖くならないか?」
「イザークさんは怖くない。」
シャディアが落ち着きを取り戻した今、もしかしたら男性に対して恐怖心のようなものを抱いているかもしれない。イザークはシャディアの部屋を尋ねる前に女官からそう伝えられた。現にシャディアの診察や身の回りは全て女性が担当するようにと指示があったようだ。だからイザークも扉に近いベッドの方から必要以上に近付かなかった。
シャディアの許しを得た今、彼女の近くに回り込んで身を屈める。シャディアは花束を横に置いてイザークの方へ両手を伸ばした。それに応えるようにイザークはゆっくりとシャディアを優しく抱きしめる。
「ありがとう、イザークさん。…お花も、助けてくれたことも。」
もう一度同じ言葉をシャディアはイザークへ渡した。
「…ああ。どういたしまして。」
シャディアの意図を汲み取ったイザークは今度こそ彼女が欲しかっただろう言葉を返してやる。すると腕の中からシャディアの嬉しそうな笑い声が聞こえてきた。昨日と同じように頭を摺り寄せてくるシャディアの頭を優しく撫でてやり、二人は穏やかな時間を再び過ごすことが出来たのだ。