それは、私が六歳の時に起こった出来事だった。
その日の夜、なかなか寝付けなかった私は、大好きなお母様と一緒に、夜の散歩をしていた。
お母様は、妖退治を行っている、蘆屋家の陰陽師だ。
「ねぇ、お母様。私ね、大きくなったら、お母様みたいな陰陽師になりたい!」
「凛(りん)ならなれるよ。だって、ママの自慢の娘だもん」
お母様は、私にとって憧れの存在であり、目標の存在でもあった。
私の夢は、お母様みたいな陰陽師になること。
早く大きくなって、お母様の手助けがしたかった。
ずっとこれからも、お母様の背中を見て育って行くんだと思っていた。
あいつが現れるまでは──
家の近くまで来た時、お母様は歩く足を止めた。
「お母様?」
「凛……、そこの茂みに隠れていて」
「えっ?」
その時のお母様の表情は、どこかを睨みつけているようだった。
お母様に隠れるように言われた私は、近くの茂みの中に座り込む。
「もしかして、妖でもいるのかな?」
私は、顔だけを軽く出し、お母様と周りの様子を伺った。
「そこに居るのは、分かってるのよ。出て来なさい」
お母様がそう言うと、どこからか下駄の足音が聞こえてきた。
『これはこれは、蘆屋家の当主ではございませんか』
お母様の目の前に現れたのは、背が低く、古い着物を来て、杖を付いて歩いて来るおじいさんだった。
「こんばんは“ぬらりひょんさん"、こんな夜遅くにどこに行くのかしら?」
『ちょっとした、散歩ですよ』
二人の間に沈黙感が漂い、風が後ろへ吹き抜けて行く。
『やはり、私と戦いますかな?』
「それが私の役目なの、あなたをここで、見逃すわけには行かないわね」
『今日は、運が悪い日ですな』
お母様は、一枚の符を取り出し、呪文を唱えると傍らに、十二天将の一人である『騰蛇(とうだ)』が姿を現す。
『ほう、これはこれは』
「あなた相手に、手加減なんてできませんからね」
お母様の合図と共に、騰蛇はぬらりひょんに向かって突っ込んで行った。
『さすが、蘆屋家の当主、蘆屋薫子(あしやかおるこ)。これは、ワシも本気を出さなくてはな』
「薫子には、触れさせない」
騰蛇の持つ大きな紅蓮の刀が、ぬらりひょんに向かって振り降ろされる。
『おっと』
しかし、ぬらりひょんはそれを簡単に避けてしまう。
『相変わらず、お前さんの刀は熱い』
「いつまでも、喋ってる場合じゃないわよ!」
すると、ぬらりひょんのすぐ近くに、符を持ったお母様がいた。
『おやおや、気がつかなかったねぇ』
「ちょっと、私のこと甘く見すぎてないかしら?」
符をぬらりひょんへと押し当てると、その符から見えない斬撃が、ぬらりひょんの体を襲う。
『斬撃符かね、これはまたやっかいな』
「これで、終わりだ!」
騰蛇は、刀に炎を纏わせると、刀でぬらりひょんの体を貫いた。
「やった!」
そして、その場にぬらりひょんの亡骸が落ち、周りに着物の破片が舞った。
「お母様!」
私は、すぐにお母様の傍へと駆け寄った。
「お母様すごい!お母様の戦うところ、初めて見た!」
「凛も大きくなって修行すれば、すぐに私みたいになれるわよ」
「ほんとう?!」
私は、目を輝かせてお母様を見上げる。
「修行すればつったって、ろくに修行せずに逃げていたのは、どこのどいつだっけか?」
「う、うるさいわね!騰蛇は黙ってなさい!」
十二天将の中でも騰蛇は、お母様が幼い頃から傍に居てくれたと、前にお母様からそう聞かされた。
「てか、あんたは早く戻りなよ」
「たく、うるせえやつ」
騰蛇は、刀をしまうと胸に手を当て、元の符へと戻った。
「ねぇお母様、私も立派な陰陽師になれたら、十二天将の人たちは私に力を貸してくれるかな?」
「大丈夫よ。そんなのお母さんが軽く言えば、みんなあなたに着いて行くから」
「ううん。私ね、自分が十二天将の人たちに認められるまで、お母様の力は借りないよ」
お母様は驚き、軽く微笑むと私の頭をなでてくれた。
「そうね、あなただったら、きっと良い陰陽師になれると思うわよ
『なかなか親想いな、娘さんですな』
「っ!」
「えっ!?」
私は、目を疑った。
だってそこには、さっき倒されたはずのぬらりひょんが立っていたから。
「なんで、生きているの?さっき騰蛇に──」
『おまえさんも、ワシを甘く見すぎですよ。でも、流石に痛みは感じますがね』
私は、お母様の後ろへと隠れる。
『そんなに、怖がらなくてもいいんだよ娘さん』
ぬらりひょんは、冷たい目で私を見てきた。
(この人、すごく嫌な感じがする……)
小さかった私でも、それは理解出来た。
この人は、とても危ない人だと。
「凛!あなたはさっきのところに隠れて──」
そのとき、一体何が起こったのか分からなかった。
気づいた時、私はお母様の腕の中にいた。
『たった一人の人間の命を庇うなど、やはり人間は分からない』
ぬらりひょんは、ゆっくりと私たちに近づいてくる。
「お母様……。お母様!」
「うっ……。凛、無事だね?」
「うん。私は大丈夫だけど……、お母様が!」
お母様の背中には、大きな刀傷があり、服は赤色に染まり始めていた。
私の頬にも、軽く血が飛び散っている。
「こんなの……、妖との戦いではよくあることよ」
お母様は、私を抱えたままゆっくりと起き上がる。
『やり返す力さえ残っていませんか、所詮は、お前さんもその程度の力だったということだ』
「あなたに何を言われても……、構わないけど……、大事な娘を狙ったことだけは許せない!」
お母様は、鋭くぬらりひょんを睨みつける。
『許せないなら、また反撃すればいいだけのこと。しかし、お前さんにはもうそんな力は残っていない』
「なんとでも言いなさい、すぐにでも騰蛇を──!」
『お前さん、そんなに無理すると』
ぬらりひょんは、お母様の目の前で止まると、杖から刀を抜き出す。
『死にますよ』
ひゅんっ──
何かを斬った音とともに、お母様の肩から血が吹き出す。
「お母様っ!」
「うっ……くっ!」
悲鳴を堪らえるお母様だけど、もう体は限界に近づいていた。
ぬらりひょんは、私をお母様から引き剥がす。
「いやっ!お母様!!」
「凛っ!!」
『この子は、次の蘆屋家の後継ぎですか、力をつけられては困る』
私の首筋に、刀が近づく。
「ひっ!」
「やめて!その子だけは!」
『これは、とてもいい姿だ。ワシは最後に、おまえさんのその姿を見れてよかったよ』
私は、この時死を覚悟した。
私が夜のお散歩したいなんて言わなければ、こんなことにはならなかった。
私がいなければお母様は、こんなに傷つかずに済んだ。
私の中では、後悔ばかりが広がっていた。
『さようなら、蘆屋の後継ぎよ』
「いやぁぁぁ!!」
お母様の叫び声とともに、ぬらりひょんは刀を振り上げる。
そのときだった。
『──この気配はっ!!』
ぬらりひょんは、私を放り投げると後方へと飛んだ。
「けほ、けほ」
「凛っ!」
「お母様っ!」
私は、すぐにお母様の元へと駆け寄る。
「遅れてすまなかったな」
私たちのすぐ近くで、男の人の声が聞こえた。
「もう……、本当にいつも遅いんだから“銀”」
銀と呼ばれた人は、私を見下ろしてきた。