「どこが変なんだ? 普通だろ?」
「俺に言っただろ、貫野刑事が……女の名前が登録されてあると、変に干渉されそうで嫌なんだよって……」
「言ったな。言ったからなんだ?」
「俺、それにこう答えたよな? 大丈夫だよ。裕貴なんて名前、普通の人が見たら『ヒロタカ』って読むし。訊かれてもそう答えればいいだろって……」
 貫野が再びメールを睨みつけた。ワックスも見つめる。
「久保の携帯で登録されていたのは『三島裕貴』でだ。送信されてきたメールに即座に返事をする。それだと裕貴が男か女か、記録を開いての判別ができない。男とも女とも取れる名前を、自殺を装うメールで使うことは危険だ。犯人はそう思う。だから普通は『三島さん』で返すはずなんだ。それが名前で、しかも裕貴さんではなく、ちゃんで返している。三島裕貴が女だとわかっているということだ」
 貫野とワックスがごくりと唾を飲む。
「それと、携帯にあった久保の指紋。左手の親指だけって言ってたろ。そこも変なんだ」
「どこが?」と言って悩む貫野を無視して、十一朗は裕貴を見た。
「裕貴! 利き腕の親指を怪我したら、メール打ちこむ時に、どっち使うって言ったっけ?」
「何でもう一度、訊くわけ? 私は聞き手の人差し指! 千恵もそうだし、他の人もそうじゃないかな……」
 裕貴の声にワックスが反応した。
「そうだ。久保の奴、ミス研にきた時、怪我したから左手でメール打つって言ってた」
「そう、それを知っているのは俺たちだけだ。そして涙。その三つで気づいた。自殺屋Оは裕貴を知っている人物であり、久保をよく知る人物、久保の死に涙するほど親しい人物だって」
 不慮の事故や親しい者を殺してしまった犯人は、その死に涙し、顔を見たくないために布団で隠したり、乱れた服を整えたりすることが多いという。
 全ての推理が行き着いた時、見えた自殺屋Оの姿は、もりりんだった。
「ワックスからもりりんの妹が、順番待ちの手術をするって聞いて、第三の公開自殺の遺書が見えたんだ。そんな手術は臓器移植なんじゃないか。動機はこれじゃないか。だとしたら手術する今日は、三人にとって特別な日なんじゃないかって」
 その時、看護師が駆けつけてきたのが見えた。
 皆が集まっているのを見て、もりりんに駆け寄ってくる。
「今、ナースコールが部屋から……妹さん、起きたみたいですよ」
 遥の病室に看護師が入っていく。手術は成功した。後は術後の経過次第だ。
 もりりんと谷分、日野が顔を上げて病室を見た。麻酔から覚めた遥が中にいる。それを知っているはずなのに、三人は動かなかった。刑事である貫野と文目を見続けていた。
 貫野が懐を探ってタバコを取り出した。口に銜えてから舌打ちをする。
「ここ禁煙か……仕方ねえ、外で吸うか」
 不器用な貫野なりの対処だったのだろう。文目が「しかし――」と言いかけた瞬間、彼の頭を叩いて後ろ襟をつかみながら引っ張っていった。裕貴がそれを見ながら笑った。
「外も喫煙禁止区域だったよね」
「本庁に戻ってから吸うってことさ」
 裕貴に答えながら、十一朗も笑った。
 遥の無事を確認しようと部屋に、もりりんと谷分、日野が入った。
 十一朗と裕貴、ワックスの三人は、その様子を病室の入り口で見ていた。
 優しい日差しが遥と三人を包みこむ。時間がとまってくれればと、三人は思っていたに違いない。抱き合って手術成功を喜ぶ、彼等の姿は美しくも悲しくも見えた。      

 その日、午後七時に青年二人、少女一人が本庁に自首した。自分たちは公開自殺を引き起こした犯人だと名乗った未成年の彼らの名前は一切、公表されなかった。
 犯人が都外の警察署に自首したという話を広げたのは、後に日野の仕業であったと判明した。
 自分たちに捜査の手が及ぶのを恐れたわけではなく、遥の手術の日を静かに迎えたいというのが真相だったのだろう。
 手を汚した自分たちが遥の手術に立ち会うのはどうか。そんな深い罪の意識が日野にもあったのだ。
 彼らの動機や公開自殺の経緯は、思うところだけ語られることになり、そのため週刊紙も新聞も記事を載せることを自粛した。