「問題は任意での提出じゃないからね。毛髪をどこで手に入れたか聞かれた時の対処を決めといてくれよ。あと、DNAが一致したとしても、その後が問題だ。俺さ、ずっと引っかかってんだ。公開自殺を考えた経緯とか、二人はどこで犯罪捜査学を学んだのかとかさ」
 十一朗の頭の中には疑問が残っていた。谷分、日野は限りなく黒に近い灰色だ。しかし、黒になりえない『謎の色』がまだ混じっている。
 その時、貫野が懐を慌ただしく探りはじめた。
「ちょっと待て、電話だ」
 着信番号を確認した貫野が目を細くする。そして呟いた。
「鑑識からだ……」
 十一朗は思い出していた。
 他殺であると確定したはじめての公開自殺の現場。それが久保の自室だった。
 刑事も鑑識も自殺屋の証拠を何としてでもつかもうと躍起になっていた。証拠となり得るような物は全て押収し、科学捜査班に託している。鑑識から電話ということは、何か発見があったということだ。
 会話をはじめた貫野は、何度も頷きと問いかけを繰り返した。その繰り返しが増えていくたびに、証拠が多く発見されたという気になる。
 そして貫野は最後に、
「わかった。すぐに戻る。それと見てほしい物がある」
 毛髪のDNA鑑定を頼んで切った。
「久保京子の部屋から本人や家族とは違う毛髪が発見された。あと、久保の遺体に犯人が触れた形跡があったらしい」
 毛髪発見の報告は一気に解決に結びつくであろう、陽の話であった。しかし、もうひとつの報告に、十一朗は陰の不快感を持った。
「もしかして……わいせつ行為の跡があったとか?」
 十一朗の懸念は、貫野が「いや」と否定したことで晴れた。
「久保が死に際に流した涙を、犯人が拭き取った形跡だ。しかも久保京子の袖は涙で濡れていた」
「涙? まさか……」
「血液型から本人ではないと確認された。型はOだ」
 ――意外だった。
 自殺屋――目的を達するためには犠牲も躊躇わない凶悪犯。逮捕されるまでは犯行を繰り返すだろう。独善的思想の持ち主。
 第二のプロファイリングもはずれた。自殺屋の感情がまるで見えない。まるで善悪一体の死に神だ。十一朗は頭を抱えた。
「久保を殺しといて、泣いたってことか……じゃあ、なんで殺したんだ」
 ばれたから、自首を勧められたから、好意を寄せたから。そんな自殺屋からの返答が聞こえた気がした。
 やはり久保は自殺屋を自首させようとしたのだ。それなので自殺屋からしてみれば、久保は殺す対象ではなかった。
 しかし、久保を殺したのに何故、彼女の涙を拭き、自らも涙したのか。
 自殺屋の心が、どこでどのように変わっていったというのか。
「あと、ショーケースについていたのは久保の血だった。おそらく、抵抗を受けた犯人のひとりが久保の動きを押さえた。その時に血が犯人の袖に付着、移動させたショーケースにもついた。そんなところだろう」 
 十一朗は自分の服の袖を見た。既に十一朗は洗ったが、裕貴に言われなければ気づかなかったはずだ。久保に触れていた犯人も、袖に血が付いたのを気づかずにいる、その可能性が高いと考えられた。
「あと久保の携帯と室内だ。採取されたのは久保京子と家族の指紋だけだった。携帯にあった指紋は持ち主の左の親指だけ……犯人は自分でメールを送信した後、久保の指紋をつけたようだな。採取されたのが久保京子と家族の指紋だけだったのと、お前等が現場にすぐに駆けつけていることを踏まえたら、犯人は手袋をしていた可能性が高い。それに、第一、第二の公開自殺に比べると、かなり動揺しているのがわかる」
 言っている貫野も混乱しているようだった。そう、犯人の行動があまりにも矛盾しているのだ。
 手袋をして地蔵背負いで殺す計画性もあれば、涙を流している。失禁跡を慌てて隠そうと、袖についた血に気づかないままショーケースを動かすところもあれば、公開自殺に見せかける周到性もある。
「まるで、ひとつの心が、ふたつの心になっちゃったみたい」
 裕貴が呟く。意識しないで語ったのだろうが、それは大きなヒントとなった。
「久保殺害中に犯人たちの意見が食い違ったんだ……殺すと決めた犯人と、嫌々ながら殺害を行った犯人がいた」
 十一朗は自殺屋の影を見た。そして、貫野はひとつの疑問に行き着いたようだった。
「しかし、久保の殺害の時だけ、どうして意見が食い違ったんだ? 第一、第二の事件を完璧にこなした自殺屋が何で……」
「おそらく、動機だ」
 お互いの動機が変わった。そう考えれば辻褄が合う。
「とにかく貫野刑事、証拠から犯人を特定するのが先だ。毛髪の鑑定、急がせてくれ」
 殺害の理由は犯人に聞かなければわからない。
 十一朗は以後の連絡を貫野と取り合うことにし、裕貴の携帯の番号を教えた。
 全ては数本の毛髪に託された。自殺屋は誰なのか? 動機は? サイト内で語られた謎が十一朗の中で叫び続けていた。