昼休みになると、早速俺は咲葉さんにメールをした。
『クビは大丈夫ですか?疲れてたら早退して休んでくださいね。』
…午後だけ有休を使う制度はあるんだろうか。
よく知らないけど、疲れきっていた咲葉さんが心配だ。
今日はもう祐子さんには会わないほうがいい気がするので、自分の机に弁当を出す。
実は教室で弁当を食べるのは初めてだが、
なんだか俺も疲れているので、どうでもいい気がした。
「あれ…今日は保健室行かないの?」
『まさか教室で食べるつもりなんだろうか…』
教室に来た和成が、驚いた顔で言った。
「うん。色々あって…。」
一言では説明できないので困っていると、
「恵美は生徒会で、俺もひとりなんだ。一緒に食べよう。」
和成が笑顔で言う。
「本当に?…よかったー。今日すごいことがあったんだよ。電車の中で…」
「外に行こうよ。ここで話せるならいいけど…。」
何も考えずに話し始める俺を遮るように、和成が言った。
そういえば、そうか。死にたいって聞いた、なんて誰かに聞かれたら大変だな。
「そうだね…。」
俺は弁当を鞄にしまって立ち上がった。

「それは疲れたね…。お疲れ様でした。」
俺の話を一通り聞いて、和成は苦笑いで言った。
「でも、祐子さんの気持ちもわかるな。…敦哉君、殴り合いした事ないよね?」
『あったら驚きだけど』
和成とは生まれたときからの付き合いだ。
俺のことで知らないことがあったら、それは驚くだろう。
そう思いながら、俺は答えた。
「うん。もちろんないよ…。」
「キレた男の力ってすごいものなんだよ。
 咲葉さんを一人で行かせなかったのは正解だと思うけど、
 できれば二人とも行ってほしくなかったな…。」
和成は目を伏せて言った。
「でも、ほっとけないだろうな。咲葉さんの性格じゃ。」
「そっか…。じゃ、敦哉君が強くならないとね。」
『鍛えて、奔放な咲葉さんを守らないと』
「そうだね…。修にお願いしてみようかな。」
修は空手でも合気道でもなんでもできるから、
このひ弱な俺でもなんとかしてくれるだろう。
咲葉さんを守れるようにならないとな、と思って携帯を見る。
咲葉さんからのメ-ルの返事は来ない。
大丈夫なんだろうか。…心配だなあ。
「咲葉さんに電話してもいいと思う?…疲れきっていたから心配で。」
「うん…。するなら早くしたほうがいいんじゃない?もうすぐ1時だよ。」
お茶を飲みながら時計を見て、和成は言った。
本当だ。1時5分前だ。…迷っている暇は無いな。
咲葉さんに電話をかけると、すぐに出た。
「もしもし。」
なんだか驚いたような声だ。
「咲葉さん?ごめんなさい。電話しちゃって…。」
怒っているのかもしれないと思い、とりあえず俺は謝った。
「うん…大丈夫だよ。」
優しい声だけど、なんとなく暗い気がする。
「会社、どうでした?…クビになっちゃいました?」
「うーん…クビではないけど…。うーん…」
咲葉さんは、なんだか言いづらそうにしている。
「電話じゃ話しづらいですか?
 あの…今日の夜、会って聞かせてください。俺、駅で待ってます。」
明日電車でね、なんて言われたら、朝まで俺は一睡もできないだろう。
「うーん…。まだ決めてないから、会ってもなあ…。」
「決めてないって…どういうことですか?」
なんだかすごく嫌な予感がする。
すると、咲葉さんは意を決したように、はっきりとした声で言った。
「あのね…。転勤しないかって言われたの。大阪に。」
「大阪?転勤って…大阪の会社に行くってことですか?」
俺がそう言う電話の向こうで、チャイムのような音がした。
「そう…。もう切るね。また明日話そう。」
呆然としていると、ツーツー、という音が携帯から聞こえた。
驚いて携帯を見ると、やっぱり”通話終了”の文字。
明日話そうって…。何をどう話すの?…頭が混乱して動かない。
「…咲葉さん、大阪行くの?」
和成の声にハッとして顔をあげる。
『まさかとは思うけど』
和成が眉間にしわを寄せて、俺を見ていた。
「うん…。どうしよう。…俺、どうしたらいい?」
声が震えて、自分で驚く。
…いや、不思議じゃない。
咲葉さんがいなくなったら、生きていける気がしない。
簡単に死ぬなんて言ったら咲葉さんに怒られるけど、
咲葉さんがいない毎日なんて、死んでいるようなものだ。
「敦哉君、落ち着いて…。絶対大阪に行かなきゃいけない、
 なんてことはないと思うよ…。」
そう言って、和成が俺の肩に手を当てた。
その手から和成の体温が伝わってきて、心細さが減っていく気がする。
…これが咲葉さんが言ってた”充電”なのかな。
そう思って顔を上げると、和成の声が聞こえた。
『咲葉さんの気持ちはどうなんだろうな…』
「…咲葉さんは、まだ決めてないって言ってた…。」
俺はその声に答えた。
「敦哉君は、咲葉さんに大阪に行ってほしくないんだよね。」
「…うん。」
咲葉さんがいなくなるなんて、考えられない。
「どうしても引き止める?…咲葉さんが行きたいって言っても。」
『咲葉さんの気持ちはどうする…?』
そんなことあるわけないよ。
だって、今度咲葉さんちに行く約束したもん。一緒にご飯作ろうって…。
手をつないで充電だって言ってた…。
なのに、大阪に行きたいのかな。…そんなはずはない。
でも、言い切れるわけでもない。
「咲葉さんがここに残りたいなら、断ることもできるだろうし、
 転職するっていう方法もあると思う。でも、咲葉さんが行きたいんだったら…。」
そう言って和成は目をそらした。
…どうしようもないよな。
行きたいっていうのを、この俺が止められるわけがない。
「ありがとう…。和成がいてくれてよかった。」
俺は和成に言った。
こんな話を一人で聞いていたらと思うと、身震いがする。
一人じゃないって、こんなに心強いものなんだな。
…咲葉さんは、一人で考えて心細くないんだろうか。
”充電”は必要じゃないのかな…。
…違うな。”充電”が必要なのは俺だ。
俺が咲葉さんに会いたいんだ。
「和成…。今日は仕事中でもメールしていいよね。」
携帯を見つめて、俺は言った。
「うん。いいと思う。緊急事態だよ。」
和成の言葉に背中を押されて、俺はメールを打った。
『今日会いたいです。夜、駅で待ってます。』