…もし、あの人に何かあったら、咲葉さんは気にするよな。
そして、責任を感じるだろう。
声を聞いたわけでもないのに…。
俺は咲葉さんの背中を追いかけ、腕を掴んで言った。
「咲葉さん。あの人、死にたいって言ってたんです…。」
「…まじで?」
咲葉さんの顔が曇った。そして、見たことの無い険しい顔になる。
咲葉さんはすぐにサラリーマンを追いかけた。
背中を見つけると、距離をあけてついていく。
ついてきて隣にいる俺に気づいて、咲葉さんは言った。
「敦哉君は学校行って…。」
「でも、心配です。…大丈夫です。たまにサボるやつもいるし。」
咲葉さんは、そう言う俺を不服そうな顔で見たが、
『仕方ないなあ…』
と心の声が聞こえて、すぐに前のサラリーマンを追う。
…どこに行くんだろう。
どんどん人気の無い路地に入っていく。
でも、ふらふらして、目的地があるようには見えない。
サラリーマンはふと立ち止まって、ビルを見上げる。そしてまた歩き始める。
ふらふらと路地を曲がり、また立ち止まりビルを見上げて、うなだれ歩いていく。
きっと死に場所を探しているんだろう、と思っていると、
電信柱に隠れていた咲葉さんが、サラリーマンに歩み寄って言った。
「…吉川さん。こんなところで何してるんですか?」
サラリーマンは、はっとした顔で咲葉さんを見る。
ついでに俺の顔も見て、声が聞こえた。
『山本さん…なんでここに…』
「何って…あなたこそ何してるんですか…。
 …そんな高校生連れて、朝帰りですか?」
あざ笑うかのように言うが、声が震えている。
「弟を高校に連れて行こうとしてたら、
 ふらふらしてる吉川さんを見つけて、あとをつけちゃいました。
 …なんだか自殺でもしそうだなって思って。」
吉川さんとは反対に、冷静な声で咲葉さんは言った。
「な…!そんなわけないじゃないですか…。」
そう言いながら、吉川さんは焦ったように目を泳がせている。
更に冷たい声で、咲葉さんは言った。
「別に自殺してもいいんですけど…。吉川さんって妻子持ちですよね?」
「そうですけど…?」
「身辺整理してから死んでくださいね。大変なんですよ。死んだ人の後始末。」
驚いて吉川さんは咲葉さんの顔を見た。
「遺書は必ず残してください。家族が殺人を疑われますから。
 …遺産もどうするか、ちゃんと書いてくださいね。」
「そんなもん…無いから死ぬんだよ。」
力なく吉川さんは言う。
「家は?賃貸じゃないでしょ?家具やテレビなんかの家財もあるでしょ。
 …そういうの全部遺産で、相続しないといけないですから。」
吉川さんの死んだような目を、咲葉さんは冷たく見据えて話を続けた。
「それに、ここらへんのビルだと低くて、きっちり死ねるかどうかも微妙ですよ。
 後遺症が残って生き残られても、家族が大変です。」
吉川さんは肩を震わせている。…顔を見ると、笑っていた。
「死ぬのも生きるのも地獄か…。ふっふふふ…。」
咲葉さんはため息をついて言う。
「地獄を生きているのはあなただけです。
 …幸せに生きているかもしれない奥さんと子供に、水を注さないでください。」
「でも、どうすればいいんだよ…。どうしたらいいのか、わからないんだよ!」
吉川さんは今にも泣き崩れそうに言ったが、咲葉さんは冷静に答えた。
「本当に死にたいんだったら、離婚してから一人で死ねばいいじゃないですか。
 色々問題を残して死ぬより、きっと心穏やかに死ねますよ。」
苦笑いしながら、咲葉さんは続ける。
「まあ、離婚もめんどくさいって、総務の幸田さんが言ってましたけどね…。
 あ、吉川さんと同期じゃないですか。
 一人でさみしいみたいだから、飲みにでも誘ってあげてください。」
戸惑ったような顔で、力なく吉川さんは頷く。
「遺産の整理は、経理の佐野さんが元保険屋だから、詳しいかもしれないですね。
 あの人も中途採用でさみしそうなんで、声かけてみてくださいよ。
 社内カウンセラーもいい人です。暇そうなんで、相談してあげてください。」
満足そうに頷いて咲葉さんは言った。
「あの会社、上司はクソですけど、他はみんないい人ですよねー。」
すると、吉川さんは搾り出すような声を出す。
「あの…このことは、宮元部長には言わないでください…。」
咲葉さんは鼻で笑って言った。
「言いませんよ。私もアイツ嫌いで、話したくないですもん。 
 でも…パワハラ被害は本社に言えば、すぐ動くみたいです。今、問題になってるそうで。
 ネットから匿名で投書できるって、同期の森本が言ってました。」
吉川さんの顔が少し明るくなる。
「…じゃ、私は行きます。吉川さんはサボったらどうですか?いい天気だし。
 どうせ死ぬなら、クビになってもいいですもんね。」
そう言って咲葉さんは、吉川さんに背を向けた。
「…山本さん…色々教えてくれてありがとう。」
「どういたしまして。」
少し振り返り、そう答えて咲葉さんは歩き始めた。
吉川さんを見ると、目が合った。
『やることたくさんあるな…。死んでられないか』
軽く会釈して、俺は咲葉さんを追いかけた。