現実に戻ったおかげで、俺は落ち着いて授業を受けることができた。
たまに聞こえてしまう先生の愚痴も、スルーすることができる。
期待さえしなければ、なんとか生きていける。
簡単に人は死んでしまうけど、死にたいと思った時に死ねるわけでもない。
…中学生の時、何度も死にたいと思った。
このまま、この変な能力を持ちながら生きていくなんて、耐えられなかった。
でもこんな俺なのに、死んだら悲しむ人がいることはわかっていた。
それを思うと何もできなかった。
せめて誰にも会わずに生きていきたいと思い、何日も部屋から出ないことがあった。
なのに俺が部屋から出ると、親も使用人も笑顔で話しかける。
しかも”顔が見られてよかった”とか”顔色が良くなったようだ”とか、心配する声も聞こえた。
俺がいないほうがみんな楽になるだろうに、なんで俺なんかを心配してくれるんだろう。
正直、その気持ちは今でもよくわからない。

昼休みになり、違うクラスの和成が俺のところにやってきた。
「敦哉君は保健室に行く?」
『何事もなかったかな…』
心配している和成の声が聞こえる。
「大丈夫だよ。…恵美ちゃんとの貴重な時間だろ?早く行きなよ。」
「うん。…じゃ、またね。」
俺に急かされて、照れたように和成は言い、廊下に出ていく。
和成には、中学生のころから付き合っている彼女がいる。
受験勉強で忙しい和成は、彼女の恵美ちゃんと学校の昼休みにしか会えないのに、
俺のところに、わざわざ声をかけに来る。
こんな俺のために、本当に申し訳ない。
そう思いながら、保健室のドアを開ける。
「…あら、また暗い顔ねえ…。」
祐子さんが、俺の顔を見るなり言った。
「恋すると、感情のアップダウンが激しくなるのよねー。」
嬉しそうに言われて、なんとなく俺はムッとする。
「…恋してないし。」
そう答えてみて、この言い方はあげ足を取られそうだなと思う。
祐子さんが何も言わないので顔を見ると、やっぱりニヤニヤしている。
「でも、明日も会えるのが楽しみでしょ?」
『それが恋なのよー』
見なきゃよかったと思って、目をそらし、カバンから弁当を取り出す。
明日も会えるのが、楽しみなわけないじゃないか。
会えたとしても、何もないはずだ。…期待しちゃダメだ。
頭ではそうわかっているのに、あの人を思うと胸は高鳴り、きゅっと痛む。
…また”かわいい”って思ってくれるかな。
無責任な自分の心の声が聞こえてきて、嫌になる。
期待しないって、決めたばかりなのに…。
よく見たら気持ち悪い人、なんて思われるかもしれないのに。
…俺って多分、アホなんだな。
「恋っていいわよねー。そばで見てる私も、幸せになれるのよ。」
カップのサラダを開けながら、祐子さんは言った。
…確かに、和成の照れた顔は、見ていて微笑ましい。
和成が幸せでよかった、と思う。
俺も同じ気持ちを、祐子さんにあげているんだろうか。
「祐子さんも、恋すればいいじゃん。」
弁当の蓋を開けて俺が言うと
「してるわよ。胃が痛くなるほど激しいのをね…。」
冷たい目で遠くを見て、祐子さんが言った。
詳しいことは知りたくないので、目が合わないでよかったと思う。
「恋でもしないと、生きてる実感が湧かないわよー。」
俺の弁当から卵焼きを勝手につまんで、祐子さんは言った。
生きてる実感…。なんだかわかるようで、わからない言葉だ。
このままあの人を想うことができれば、わかるようになるんだろうか。
胸がぎゅっとなるのをごまかすかのように、俺は卵焼きを口に入れた。
「いい天気。デート日和ね…。」
窓の外を見て、祐子さんが言う。
デート…、ねえ。俺には関係なさ過ぎて、異国の言葉のようだ。
すると、ドアをノックする音が聞こえた。
「はーい。どうぞー。」
祐子さんが返事をする。
「…失礼しまーす。購買の争奪戦で尻もちついちゃって…。」
尾てい骨をおさえながら、男子が入ってきた。
『やべえ、二人の時間を邪魔しちゃったか…』
思わず顔を見てしまって、声が聞こえる。
一年生かな、俺と祐子さんのことを知らないなんて。
でも、そう見えるんだ。
これがデートに見えるんだったら、いつか誰かとデートできるのかもしれない。
…その相手が、あの人ならいいのに。
はあ…。また自分の心の声が聞こえて、ため息をつく。
やっぱり俺はアホなんだと思う。
「シップあげるわねー。貼ってあげてもいいわよ。お尻出して。」
嬉しそうな祐子さんの声で、現実に戻ることができたので、
俺は弁当を食べることに集中した。