結構美味しいビールらしいけど、咲葉さんは何も言わずに遠くを見ている。
口に合わなかったんだろうか。
心配していると、咲葉さんはゆっくり俺の顔を見て言った。
「…敦哉君は、生まれたときから心の声が聞こえるの?」
『聞いてもいいかな…』
聞くかどうか迷ってたんだな。俺は笑顔で答えた。
「そうらしいです。赤ちゃんの時からよく泣く子で、
 特に親と仲の悪い相手に抱かれると、よく泣いてたそうです。
 そのころは言葉じゃなくて、相手の感情を感じてたのかもしれないですね。」
咲葉さんは目を伏せて、頷きながら聞いている。
「言葉を話し始めたら、おかしなことばかり言うから、驚いたって聞きました。
 障害児かと思ったらしいんですけど、両親も使用人たちも、
 俺の言ってることと、自分の気持ちが合ってるって気づいてくれて…。」
『そうなんだ…』
咲葉さんと目が合って、優しい心の声が聞こえる。
俺は安心して、話を続けた。
「それで、辞めちゃった使用人もいたみたいですけど、ほとんどの人は続けてくれて、
 俺みたいな変なやつの世話をしてくれてるんです。」
咲葉さんは微笑んで頷いている。
その優しい微笑みは、俺の心を溶かすようだ。
「小さい頃からのつきあいだから、みんな優しくて、扱いにも慣れてるし…、
 みんながいるから生きてこれたなって思います。」
「…敦哉君は、優しい人達に囲まれて育ったんだね。」
『よかった』
安心したような心の声が聞こえた。
咲葉さんは、俺がどうやって育ったのかを心配してくれてたんだな。
「だから、敦哉君も優しいんだね。」
「それはどうなのかな…。優しいんでしょうか。自分ではわからないです。」
「優しいよ。こんな酔っぱらいのOLと遊んでくれて。」
そう言って笑い、咲葉さんはビールを飲む。
「それは逆ですよ。こんな俺と話してくれる咲葉さんが、優しいんです。」
咲葉さんはふふっと笑って言った。
「まあ、お互い優しいってことで…お腹空いたね。」
「はい、お弁当出しますね。」

俺が弁当を広げていると、咲葉さんが声を上げた。
「すごーい!豪華…。海老が入ってるー。
 …もしかして、敦哉君はこんなご馳走を毎日食べてるの?」
目を輝かせて、咲葉さんが言う。
「いや…今日は、張りきって作ってくれたみたいです…。」
いつもの弁当と同じ感じだけど、ここは言わないでおこう。
きっと引いちゃうよな…。
「なんだか申し訳ないなー。やっぱりお土産、持ってくればよかったかなー。」
『何かお礼しないとー』
「大丈夫です。来てくれただけで本当に嬉しいし、みんなもすごく喜んでくれたんです。
 俺が女の子を連れてくるの、初めてなんで。」
「そっかあ。やっぱりそうなんだ…。」
咲葉さんはそう言って、弁当に目を戻す。
やっぱり咲葉さんもわかってたんだな。俺が女の子に慣れてないってこと。
余計なこと、言っちゃったかな…。
俺が後悔に包まれていると、
「…敦哉君、何食べる?適当に盛っちゃっていい?」
皿を持って、咲葉さんは言った。
「はい。ありがとうございます。」
「どうぞー。…本当においしそう。いただきまーす。」
咲葉さんは手早く取り分けて、笑顔で食べ始めた。

…本当のところ、咲葉さんはどう思ってるんだろう。
仲良くしたいって言ってくれたけど、それは友達として、なんだろうか。
どんなつもりで、ここにいてくれるんだろう。
そんなことを考えていたら、思わず言ってしまっていた。
「あの…咲葉さんを好きな男の人と、今でもご飯を食べに行くんですか。」
言って、すぐに後悔する。
まだ食べ始めたばかりなのに、このタイミングで言うことじゃないだろ…。
咲葉さんの顔を見れないでいると、
「もう断るようにした。その人にも悪いからね。」
何でもないことのように、咲葉さんは言った。
「付き合う気はないって自分でもわかってたんだけど、
 私を好きになってくれる人は貴重だったから、なかなか断れなかった。」
『モテないからね…』
そうなんだ…。そんなことないのに。
でも、安心して顔が緩んでしまうので、俺は下を向いた。
「敦哉君見てたら、私もちゃんと向き合わないとなって思って。
 …心の声が聞こえることを私に言うの、すごく勇気が必要だったでしょ?」
「はい…。」
不意に聞かれて、俺は顔をあげる。
「敦哉君の一生懸命な姿を見てたら、自分が恥ずかしくなった。
 仕事に飽きてたから、適当に付き合って結婚しちゃおうかと思ったんだけど、
 現実からただ逃げてるだけだって気づいた。」
『言ってみると、我ながらカッコ悪いな…』
そう言って、咲葉さんは笑った。
「でも敦哉君と会ってから、心の声が聞こえるってどんな感じなんだろうっていつも考えてて、
 イヤミ言う上司なんて、ろくなこと考えてないはずだって思うけど、
 そういう私がろくなこと考えてないなって気づいて、笑っちゃうんだ。」
咲葉さんが楽しそうに笑って言うから、俺も笑ってしまう。
「嫌なやつも好きな人も、みんな色々なことを考えて生きてるんだなって思うと、
 みんな可愛くて愛しいなって感じて…。」
俺の顔を見て、咲葉さんは言った。
「敦哉君のおかげで最近楽しいんだよ。
 …敦哉君と会えて、本当によかった。ありがとう。」
咲葉さんは、まっすぐに俺を見て笑っている。心の声は聞こえない。
…会えて良かった。聞いたことがない言葉に、俺は呆然としていた。
だんだん咲葉さんの顔が滲んでいく。すると、声が聞こえた。
『泣いちゃった?』
はっとして俺は下を向いて、目をこする。
「ごめんね、変なこと言って…。嫌なこと、思い出しちゃった?」
下を向いたまま、俺は首を振る。
「違います。…嬉しくて…。」
そう言う声が震えて、自分が嫌になる。
今度は恥ずかしくて顔を上げられない。
どうしようかと思っていると、髪に何かが触れてくすぐったい。
見ると、咲葉さんが頭を撫でていた。
「じゃ、よかった。」
そう言って、咲葉さんはまだ頭を撫でる。
何だか犬になった気分…。
咲葉さんの手の感触を味わおうと、髪に全神経が集中している。
恥ずかしいけど、手のひらの温度が心地いい。
そう思っていると、その温度が耳に移動して、驚き、体がビクッと動く。
「…ごめん。」
『我慢できなかった』
咲葉さんが言って、目をそらす。
え…?どういう意味?我慢できなかったって…。
「お腹空いたね、食べよう。」
箸を持ち、咲葉さんは言って食べ始める。
何が我慢できなかったんだろうか。
我慢できなくて耳を触るって、どういうことなんだろう。
考えるが、鼓動が激しくなり、顔が赤くなるだけなので、やめることにした。