ホームのベンチで、俺はそわそわと咲葉さんを待っていた。
なんで昨日は簡単に、言ってみよう、なんて思えたんだろう。
祐子さんの軽いノリに、騙されてたな…。
断られたら絶対に顔に出る。別れ際に誘おう。
そう決めたのに、なんだか緊張している。
考えたくないのに、断られた時のことを考えてしまう。
はあ…。俺って本当にウジウジだよなあ…。
そんなことを考えていると、咲葉さんが俺の顔を覗き込んだ。
「おはよう。敦哉君。」
『元気ない?』
「おはようございます…。大丈夫です、元気です。」
ウジ虫なだけです、とは言えないので、作り笑顔でごまかす。
「よかった。」
『あー苦しい…』
笑っている咲葉さんの顔をよく見ると、汗をかいている。
そういえば、息使いも荒いな。
「…急いで来たんですか?」
「そう、一本遅れると遅刻ギリギリなの。」
『飲むと起きれないんだよねー』
昨日は、平日なのにたまに飲んじゃう日、だったんだ。
「週末まで、我慢できなかったんですね。」
「うん。疲れた顔するくらいなら、飲んじゃおうって思って…。」
『ダメ人間なんだよ』
咲葉さんの心の声の厳しさに、笑ってしまう。
「そんなことないですよ。息抜きは必要です。」
『敦哉君は優しいなー…』
咲葉さんの声は穏やかだけど、なんだか少し寂しそうな表情だ。
なんとなく違和感を感じていると、電車がホームに入って来た。
俺たちは、ドア付近のいつもの場所に立ち、向かい合う。
今日も、ジロジロと見られてしまうんだろうか…。
ちょっと期待しながら咲葉さんを見ると、下を向いている。
瞬きをするときにまつ毛が動くから、寝ているわけじゃない。
どうしたんだろう…。何かあったかな。
でも、さっきまで普通に笑ってたし…。
ふと、ホームでの寂しそうな顔を思い出す。
やっぱり、何かあったのかもしれない。
目が合わないかな…と思って、うんざりする。
俺は能力を使わないと、咲葉さんの気持ちがわからないのか?
全く、どうしようもないな。俺は小さな声で、咲葉さんに言った。
「咲葉さん、何かありました?」
「…うん。」
少し顔をあげて、またうつむいてしまう。
…まさか、またお別れを考えてるんじゃ。
やっぱり、俺といると疲れるって気づいちゃったかな…。
すると咲葉さんは、俺の顔をじっと見た。
『もっと敦哉君と、ゆっくり話したいな、と思って』
驚いたが、嬉しさで顔が緩んでいく。
「はい。俺も同じです…。」
これはチャンスよ!という祐子さんの声が聞こえた気がした。
「あの…週末、うちに来ませんか?庭でビールでも飲んでください。」
俺は、思いきって言った。
咲葉さんは少し目を丸くして、笑いながらまわりをちらっと見る。
あ、電車の中だった…。これ、断られたら恥ずかしいな…。
「うん。」
『考えとくね。』
咲葉さんってやっぱりすごいなあ…。断ってないふりしてるけど、慎重だ…。
賢いなあ。それに比べて俺は…。
落ち込んでいると、咲葉さんが俺を見ていた。
『敦哉君の家は大きいよね?お庭もすごいの?』
「公園より綺麗だと思います。」
ちょっとハードルを、上げすぎただろうか。
でも庭師さんが、いつも綺麗にしてくれてるし、いいよな。
「そうなんだ…。」
『でも、OLの友達が来たら、ご両親、びっくりするよねー…』
心配そうな顔の咲葉さんが、心の声で聞いた。
…そんなの、全然平気なのに。
友達がいない俺が、家に友達を連れてきて、
しかもそれが女の子だなんて知ったら、すごく喜ぶだろう。
…でも、これは電車の中では言いづらい…。
とりあえず親はいないってことを伝えて、安心してもらおうと思い、俺は笑顔で言った。
「大丈夫です。いませんから。」
『え?じゃあ二人きり?』
咲葉さんの驚く心の声が聞こえた。
そっか、そう思うよな。説明が足りなかった。
でも、電車の中で使用人と執事がいるって言うのは、嫌だな…。
「えーと…他の人がいます。」
「ふーん…。」
『他の人って…兄妹?』
違います、と俺は首を振る。
咲葉さんは首をかしげて、心の声で言った。
『…あとで、詳しくメールで教えて』
はい、すみません、と俺は頷く。
見ると、咲葉さんは笑っている。
『髪の毛がふわふわして、可愛い』
照れていると、降りる駅のアナウンスが聞こえた。
楽しく話していると、本当にあっという間だな。
ずっとこうして話していたいのに…。
電車を降りて、寂しい気持ちになっていると、咲葉さんは言った。
「メール、返事が遅くなったらごめんね。」
メールが来なかった日のことを、ふと思い出す。
咲葉さんは、咲葉さんを好きな男と昼ごはんを食べたりしてるのかな。
それでまた、メールが送れなかったりするんだろうか。
なんだか胸が痛くなってきた。
…でも、そんなことを聞いたら、嫌われてしまうだろう。
「敦哉君の家のこと、たくさん書いてね。」
『楽しみだな』
笑って咲葉さんは言う。
「…はい。じゃ、気をつけて。」
そう言って見送る俺を振り返りながら、咲葉さんは歩いて行った。
…この笑顔を独り占めしたい。
こんな俺に優しくしてくれるだけで奇跡なのに、
俺はまだその先を望んでいるんだ。欲張りだな。