駅の広場で咲葉さんを待ちながら、もしかしたら会えるのは最後かも、と気づいた。
言いたいことは全部言おう。寂しがるのはそれからだ。
とはいえ寂しいな、と思っていると、咲葉さんが小走りでやってきた。
「敦哉君、お待たせ。ご飯食べた?」
『お腹すいたー』
無邪気な咲葉さんの声に、俺はなんだか安心する。
「いえ、食べてないです。」
「じゃ、気になってるお店があるんだけど、行っていい?」
「はい。どこでもいいです。」
あ、でも、落ち着いて話せる場所だといいな。
…その俺の願いは、届いたようだった。
「ここ、カップル用の個室があるんだよー。来てみたかったんだ。」
小さめの個室は薄暗い照明で、何だかとっても大人の雰囲気だ。
いつも可愛い咲葉さんは、とても綺麗に見える。
どうしてこんなところに来てみたいんだろう…。咲葉さんてよくわからない…。
ここは逆に、落ち着いて話せない気がしてきた。
でも向かい合わせじゃなくてよかった、と思いながら、L字型のソファに座る。
しかし、隣に座る咲葉さんが意外と近い。
そしてカウンター席と違い、視界の中にいつも咲葉さんがいるから緊張する。
最後の思い出には最高の場所だけど、落ち着かない…。
「敦哉君はコーラとかでいい?」
「あ、はい。何でもいいです…。」
「コーラは無いなあ…。ジンジャーエールでいい?」
メニューを指差しながら、首をかしげて聞く咲葉さんが可愛い。
「…はい。」
だめだ、これで最後なんて寂しすぎる…。言うの、やめようかな…。
葛藤しているなか、咲葉さんは店員に注文している。
迷っている俺とはうらはらに、注文が終わってすぐ咲葉さんは言った。
「えっと…明日もあるから、手短に話しちゃうね。」
『高校生を遅くまで連れまわして、申し訳ないし…』
やっぱり咲葉さんは大人だなあ。
不安が入り混じった尊敬の念を感じながら、俺は頷いた。
「あのね…恋人じゃないんだけど、私を気に入ってくれてる人がいて、
 一緒にお昼ご飯食べてたから、メールできなかったの。ごめんね。」
そう言って咲葉さんは、申し訳なさそうに目を伏せた。
そうなんだ…。ちょっとショックだけど、”恋人”じゃないんだもんな。
それはよかった。…うん、本当によかった…。
安心感に包まれている俺とは裏腹に、咲葉さんは悲しそうな顔で続けた。
「でね…その人と敦哉君のこと、比べちゃったりしてたんだ。…嫌な女なの。」
『好きになってもらうような女じゃないんだよ』
そっか…。咲葉さんはそう思ってたんだ。
悲しそうな咲葉さんに
「全然嫌な女じゃないです。比べて当然だと思います。
 …まあ、比べられて勝てる気はしませんけど。」
俺は苦笑いで答えた。
「そんなことないよ。敦哉君のほうが、純粋で好きだなって思った。でも、高校生だから…。」
『犯罪だよなあ…』
え?俺は急に聞こえた、この場所に似つかわしくない言葉に驚く。
別に、高校生を好きでも、犯罪ではないと思うけど…。どうなんだろう。
いや、もし本当に犯罪だったら、修が止めるよな。
咲葉さん…すごいこと考えてるんだな。ちょっと笑いそうになる。
大丈夫だって言ってあげたいけど、心の声だから答えられない…。
よし…。やっぱり言おう。
「…あの、話の途中だとは思うんですけど、俺の話をしてもいいですか。」
「うん…いいけど。」
『めずらしく強引だなあ』
咲葉さんは戸惑っているけど、本当のことを言ったほうが話は早いはずだ。
俺は、静かに深呼吸をして、言った。
「あの…俺…。心の声が、聞こえるんです。」
言ってみると、変な感じだ。嘘を言ってるみたい。
ちらっと咲葉さんを見るが、ちゃんと顔を見ることはできない。
でも、言い始めたんだから、しかたない。
俺は咲葉さんから目をそらしたまま、言葉を続けた。
「ずっと言わないで、咲葉さんの心の声を聞いちゃってて…。ごめんなさい。」
恐る恐る顔をあげて咲葉さんを見ると、きょとんとしている。
「…よくわかんない。」
『どういうこと?』
聞こえたことを言ったほうが、わかりやすいかな…。
「今、”どういうこと”って聞こえました。」
少し考えて、咲葉さんは言った。
「…じゃ、話さなくても聞こえるの?」
「はい…。」
怪訝な表情の咲葉さんを見ていられなくて、俺は目をそらした。
ちょうど店員が、ビールとジンジャーエールを持ってくる。
置かれたジンジャーエールの泡を見つめて、俺は後悔していた。
やっぱり気持ち悪いよな。…言わなきゃよかった。
「…あれ?今のは聞こえなかった?」
咲葉さんの声に、俺は顔をあげる。
「あ、目が合ってないと…聞こえないんです。」
「ふーん…。じゃ、ちゃんと目を見てて。」
「はい…。」
俺は咲葉さんの目をじっと見つめた。
『聞こえる?』
「はい。」
『あー、って言って。』
「…あー。」
『面白い…。』
咲葉さんの顔が緩んでいく。
面白いって…もう酔ってるのかな。ビールを見ると、まだ少ししか減っていない。
すると、ビールを見る俺の視界に咲葉さんが入ってくる。
『ちゃんと見ててってばー』
「ごめんなさい。」
もう一度、ちゃんと咲葉さんの顔を見る。
『じゃ、私の気持ちはほとんど知ってるんだ。』
「いえ、目が合って、言葉になってないとわからないんです。
 だから中途半端にしかわからなくて…。本当のことを話そうと思いました。」
『そうなんだ…。』
そう聞こえると、咲葉さんは目を伏せた。
きっと困ってるよな…。
俺が申し訳ない気持ちで咲葉さんを見ていると、
頬杖をつき顔を両手で覆いながら、咲葉さんは俺を見た。
『…どこまでわかった?』
「えっと…可愛いとか嬉しいとか俺に思ってくれてるのに、
 メールが返ってこなかった日から、優しくしないでとかごめんねとか聞こえて…。
 それでお別れだって聞こえたから、もうどうしようかと思って…。」
咲葉さんが帰らないでいてくれることに安心したのと、
今までの不安が溢れて、うまく話せない。
自分のかっこ悪さにガッカリしながら、俺は目を伏せた。
「そっか…。なんか、ごめんね。不安にさせちゃって…。」
悲しげな声に、俺は顔をあげた。咲葉さんは頬杖をついて、ろうそくを眺めている。
「そんなことないです。俺こそ申し訳ないです。俺なんかが好きになっちゃって…。」
咲葉さんは頬杖をついたまま、俺を見た。
『そういうふうに思ってたんだ…。』
「うーん…。」
うなりながら咲葉さんは下を向いた。
「敦哉君は高校生だから、付き合うことはないなと思ってた。
 でも、そんな面白い能力があるなら、ぜひ仲良くしていたい…。けど、なあ…。」
咲葉さんは、相変わらずろうそくを見て話している。
もう、ちゃんと使い分けているんだろうか。咲葉さんて、すごいな。
いや…感心してる場合じゃないか。
「俺…このことを言ったら、咲葉さんは気持ち悪がると思ってました。
 それで、きっと俺から離れていくだろうなって。
 だから、お別れだって聞こえなかったら、ずっと言わないつもりでした。」
『そうなんだ…』
咲葉さんは俺の顔を見ている。
「でも、咲葉さんがこの能力を面白いって、仲良くしてたいなんて言ってくれて…。
 俺…うれしいです。やっぱり…咲葉さんが大好きです。」
言ってるうちに、俺の中で何かが溢れて、声が震えた。
涙目になっている気もする。やっぱり、どうしようもなくかっこ悪い…。
そう思って、また俺はうつむいた。
「うん…。ありがとう。」
なのに、優しい声で咲葉さんは言ってくれる。
「敦哉君は、私の想像以上に色々な思いを抱えて、生きているんだろうね…。」
静かに話す咲葉さんの声につられて、俺は顔をゆっくりとあげた。
「これからも、仲良くしてもらっていいかな?」
微笑む咲葉さんから、心の声は聞こえない。
きっと本当にそう思ってくれてるんだ。
「はい…。こちらこそ、よろしくお願いします。」
安堵と緊張の途切れが押し寄せて、なんだかうまく笑えない。
俺がひきつっている顔を撫でていると、店員が料理を持ってきた。
「あ、明日学校だよね。早く食べて帰らなきゃ。」
咲葉さんは、サラダやチキンを取り分けてくれる。
「はい。」
そういえばお腹が空いた。安心したせいかな。
咲葉さんから皿を受け取って、料理を食べはじめる。
すると、咲葉さんと目が合った。
『おいしいね』
咲葉さんの心の声が聞こえて、はい、と俺は頷いて笑う。
本当のことを言ったら、何もかもが全部終わると思っていたけど、
こうして今までと同じように笑いあえるなんて、信じられない。
俺はとんでもない幸せものだ。これ以上、望むものなんて何もない。
…あ、でも、ひとつだけあった…。
「あの…もふもふって何ですか?」
咲葉さんはふっと笑って、飲んでいたビールを置いた。
「いつか、もふもふさせてもらうから、よろしく。」
そう言ってすぐに、咲葉さんは横を向く。やっぱり使い分けてるんだ…。
咲葉さんには敵わないな、と思って、俺はまた料理を食べ始めた。