それから俺の頭は思考停止していた。何も考えたくなかった。
だから朝も、電車に乗るか迷った。でも、突然いなくなるのは咲葉さんに失礼だ。
ちゃんと直接ありがとうって言って、車通学に戻ろう。
もう考えたくない。咲葉さんを疑う自分が嫌だ。
本当のことを言えない自分も嫌いだ。もう、逃げちゃおう。
今の俺には逃げることしかできない。
「おはよう。敦哉君。」
『今日も会えて嬉しい』
顔をあげると、笑顔の咲葉さんがいた。
「おはようございます…。」
優しい心の声に面食らいながら、俺は答える。
『何だか元気ないな』
すかさず俺の表情を読み取った、咲葉さんの心の声が聞こえる。
何もかもが優しい。昨日の寂しげな咲葉さんは何だったんだ?
本当に仕事で疲れていただけだったのかな。
でも、優しくしないで、って言った声は?ごめんね、って何度も言ったのは?
混乱しながらも、俺は咲葉さんと電車に乗った。
いつものように向かい合って立つ。
やっぱり咲葉さんと目が合って、声が聞こえた。
『何となく、お別れは伝わるものなのかな』
…どういうこと?お別れって、ナニ?もうわからない…。
俺は自分も別れを言おうとしていたことすら忘れて、苛立っていた。
もういいや。全部言おう。どうせお別れなら。
「咲葉さん、恋人いますか?」
自分の冷たい声にびっくりした。そして、即、後悔した。
咲葉さんは驚いて、目を丸くしている。そして、言った。
「いないよ…。」
『いないけど…』
咲葉さんはすぐに目をそらした。
俺の中で、安心と不安がマーブルのように入り混じる。
いない、けど。って何だろう。
とりあえず、恋人はいないんだな。
でも、けど、って何だ。…もう、大事なところは心で言うんだから。
言わなきゃわからないじゃないか。
…それは俺もそうか。
心の声が聞こえることを隠してるから、こんなめんどくさいことになるんだ。
咲葉さんを責めてどうする。
…何だか、だんだん申し訳なくなってきた。全部俺が悪いんじゃないか。
勝手に心の声を聞いて、好きになって、その気になって、苛立って。
どうしようもないな、俺は。ふと見ると、咲葉さんと目が合った。
『怒ってるのかな、敦哉君』
怒ってないです。自分が嫌になってるんです。って言えないんだな。
不便だ…。もう嫌になってきた。
「咲葉さん、今日、時間作れませんか。夜でも、何時でもいいんで。」
俺の口が勝手に言った。
そして我に返って、できれば来週くらいがいいな、と思った。
「わかった。…今日の夜、仕事終わったらメールする。」
『私も言わなきゃ。ちゃんと』
思った以上に早く話が出来そうでがっかりしたが、咲葉さんの決意の声に、俺も腹をくくる。
「はい。お願いします。」
顔をあげると、もうすぐ降りる駅だった。
「咲葉さん、寝かせてあげられなくて、すみません。」
俺が言うと、咲葉さんは少し笑って言った。
「…いいよ。」
『なんかエロい言いかた』
どうしてこのタイミングで、そんなことを思うんだろ…。もう、咲葉さんは…。
顔が熱くなる。でも、そんな咲葉さんも大好きだ。
明日の電車でも、こうして笑ってくれるといいんだけど。