保健室に行き、朝の出来事を話すと、
「男前かー。よかったわねえ。」
消毒用のガーゼを切りながら、しみじみと裕子さんは言った。
「うん。祐子さんのおかげです。」
「そうね。まあ、そうなんだけど…。」
祐子さんは、俺の言葉を否定せずに頷きながら認めると、俺の顔を見て言った。
「行動したのは敦哉だからね。自信を持ちなさい。」
『本当にがんばったわ…』
「そっか…。」
…でも、俺、がんばったかなあ。
裕子さんの真剣な言葉は嬉しいけど、実感は湧かない。
確かに、一人で電車に乗ったことは、すごくがんばったと思う。
でもその一歩を踏み出してしまって、あの人に会ってからは、
ジェットコースターに乗せられて、わーわー騒いでいたら
到着してたような、そんな感じ。
俺は何も努力をしていない気がする。
すると、祐子さんが言った。
「この勢いで、告白しちゃいなさいよ。」
そのストレートな言葉に驚き、俺は即座に目を背ける。
「…それは、無理だよ…。」
それには、本当のことを言わないと。
心の声が聞こえるなんて、絶対に気持ち悪がられるにきまってる。
そしたら朝の幸せな時間は、無くなってしまうんだ。そんなの嫌だ。
「…このままで、十分だよ。」
俺は、祐子さんから目をそらしたまま、言った。
「本当に?話してみたいと思わないの?」
「そりゃあ、思うけど…。」
朝、あの人と一緒に見た虹を、思い出す。
あの時、綺麗ですねって微笑みあえたら、どんなに幸せだっただろう。
胸に小さな明かりがついた気がした。
でも、その明かりを手に取るには、ジェットコースターに乗ってるだけじゃだめだ。
俺が立ち上がって、自力でそこまで歩かないと。
…立ち上がれる気すらしない。
暗くなっている俺に祐子さんは言った。
「言ってみなきゃ、わからないわよー。」
「…でも、だめだったら俺、生きていけない。」
「重いわねえ…。立ち直れない失恋なんて、ないから。」
祐子さんは簡単に言うけど、”失恋”という単語を聞くだけで、
胸に何かが突き刺さるようだ。
「それで、また恋すればいいのよ。人を好きになるって幸せだって、わかったでしょ?」
失恋前に次の恋の話をされるのも、辛いんだけど…。
でも、確かに幸せだ。
ここにあの人はいないのに、思うだけで満たされる。
感じたことのない気持ち。
同意するかのように、予鈴が鳴っている。
立ち上がる俺に、祐子さんは言った。
「ま、先のことを考えすぎるより、今の幸せな気持ちも、ちゃんと味わってね。」
「うん…。ありがとう。」
そう答えて、俺は教室に向かった。