人はひとりでは生きていけない。
でも、ひとりでも生きようとする意志は、必要だと思うんだ。

その思いを、4年経った今、やっと実現しようとしていた。
桜は散ってしまったが、ピンクの名残がまだある駅のロータリーで、俺は車を降りた。
「いってらっしゃいませ…。何かあったら、すぐご連絡ください。」
「…ありがとう。いってきます。」
執事の修に見送られながら、俺は目を伏せて駅の改札へ向かう。
すると、階段を下りてきた女性と、目が合ってしまった。
『変な頭…』
聞きたくない声が聞こえてきて、心が折れそうになる。
俺は、ため息を抑えながら、改札を通った。
気をつけていたのに、すれ違うおばさんと目が合う。
『高校生?朝、早いわねえ』
…そうなんです。
同じ高校生とは一緒に電車に乗りたくなくて、時間をずらしました。
そう答えてあげたいが、心の声に答えるわけにはいかない。
俺は素通りして、歩き続ける。
階段を下りると、ベンチに座るサラリーマンとまた目が合ってしまった。
『何かキモイやつが来た…』
辛辣な心の声にグサッとくる。
心の声は遠慮が無い。でも仕方がないんだ。
俺に聞こえるとは、思っていないんだから。
そう思ってやりすごそうとするけど、やっぱり心は痛い。

必死で目を見ないようにして、ここまで来たけど、ダメだった。
これだけたくさんの人がいると、どうしても他人と目が合う。
…そして、心の中の声が、聞こえてしまう。
ホームに電車が滑り込んできた。
降りてくる人と目が合わないように、下を向いたまま、電車に乗る。
座っている人の前に座ると目が合ってしまうから、ドアの近くに立とうと決めていた。
一番後ろの車両に乗ったせいか空いていて、念願どおりドアの近くに立てた。
女の人が前に立っているけど、ドアのほうを向いているから大丈夫だろう。
このまま学校の最寄り駅まで、無事に着きますように…。
俺は強く念じながら、窓の外に広がる青い空を見た。

目が合うと、その人の心の中の声が聞こえてくる。
小さい頃から、ずっとそうだった。
そんな俺は、ありがたいことに裕福な家庭に生まれ、俺の能力を理解してくれる親と、使用人に囲まれて生きてきた。
外に出るときは必ず執事がつき、学校まで送迎してくれるので、必要以上に傷つくことは無かった。
だからここまで生きて来れたんだと思う。
そして、このまま理解してくれる人たちと、一生生きていこうと思っていた。
…あの日までは。
4年前の3/11、たくさんの人が簡単に死んでいった。
俺はテレビで、それを見て思った。
こうして俺以外の家族がみんな死んだら、俺はどうやって生きていけばいいんだろう。
この変な能力を、隠して生きていくんだろうか。
それとも、理解してもらおうとして?それも、自分ひとりで。…できるんだろうか。
俺を守ってくれる人たちがいるから、俺は生きてこれた。
学校で嫌な声を聞いても、みんなに聞いてもらえれば救われた。
みんないなくなったら、俺はどうするんだ?
…ひとりで生きる力を、つけなければならない。
そう思ったが、中2の俺には何もできなかった。
学校に行くのが精一杯で、世界を広げることなんで無理だった。
そして今、高3になってやっと決意した。
ずっと車で登校していたけど、まずは電車通学をすることに決めた。

それが今日なわけだが。明日は…どうしよう。すでに心は折れている。
車で行こうかな…。でも、二日目で挫折って…ものすごくかっこ悪い。
和成の反対を押し切ったくせに…。なんて言えばいいんだろうか…。
意気消沈して目を下げると、窓越しに女の人と目が合った。
…やっちまった。そう思った瞬間、声が聞こえた。
『ふわふわあたまー』
くりっと丸い目のその人から聞こえた声は、優しくてあたたかい声だった。
その優しい声と柔らかな視線に包まれて、俺の心のトゲが溶かされていく。
嫌な声を聞き続けたくなくて、目が合うとすぐに目をそらすようにしていたけど
今はそらさなければよかったかな…。
…いや、ふわふわで変な頭ー、なんて続くに決まっている。
だって、自分で鏡を見ても変な頭だと思うもん…。
でも…。嫌な感じがしないその声が、もう一度聞きたくてしかたがない。
もう一度、あの可愛い目を見たい。
…それに、また見たって目が合うとは限らないしな。
心臓の高鳴りに気づかないふりをして、俺はなんでもないことのようにさりげなく、ちらっとまた女の人を見てみた。
『ふわふわあたま、かわいい…』
か…かわいい?
目を見ていたかったけど、恥ずかしくなり、目をそらしてしまう。
…かわいい、なんて久しぶりに聞いた…。
小学生の時にたまに聞こえた言葉だけど、そのあとに”連れて帰りたい”と
知らないおじさんの心の声が聞こえた日から、恐ろしくなり俺は髪を伸ばした。
それで、天パが伸びた俺のふわふわ頭はできあがった。
”変な頭”とか”キモイ”って言われるほうがマシだと思ってたのに…顔が熱くなる。
…どうしよう。心臓がバクバクしてきた…。
落ち着けって。犬みたいで可愛いとか、ぬいぐるみみたいとか、そんな類のことだぞ。
…それでもいい。嬉しい…。俺の心の声が聞こえてくる。
その気になるなよ…。女の子は顔で笑ってても、酷い事を平気で思ってるものじゃないか。
それで何度も傷つけられた。もう女の子に期待はしないって決めたんだ。
決めたじゃないか…。
心の中で色々言っているのに、俺の目は勝手に女の人を見ていた。
…その女の人は目をつぶっていた。
え…?寝てる?
立ったまま寝られるものなの?
俺は、目が合うことを恐れるのを忘れて、女の人をじっと見てしまう。
女の人は手すりに寄りかかり、器用に立ちながら寝ている。
その様子を感心しながら見ていた。
…そういえば、女の人の寝顔をじっと見ることなんて無いな。
そう気付いてしまうと、何かいけないことをしている気がしてきて、目をそらす。
でも我慢できずに、また見てしまう。
そんなことを繰り返していたら、降りる駅のアナウンスが聞こえた。
あ、降りなきゃ。なんだかあっという間だったな…と思っていると、女の人の目がゆっくり開いた。
とろんと半分だけ開いた目は、とても眠そうだ。小さなため息が聞こえる。
目を合わせなくても、眠いんだ、ということがよくわかる。
段々開いてきたその目が、俺を見た。
『ふわふわー。もふもふしたい』
…もふもふ、って何だ?どうしたいんだろう。
何となく照れてしまって、もう一度目を見ることはできなかった。
目の前のドアが開いたので、女の人に続いて電車を降りた。
この人はどこに行くんだろう、その背中をじっと見つめながら歩く。
改札を出ると、その人は右に曲がって、スタスタと歩いて行ってしまった。