「じゃあ、何?」
「あのときの私たちは……お互い、理想の恋人を演じてただけでしょ? そんな偽りの関係でキスしたって、それは本物のキスじゃないでしょ?」

 私はうつむき、バッグを抱く腕に力を込め、勇気をかき集めて続ける。

「は、初めてだったのに、嘘のキスなんかじゃイヤなんだもん……」
「明梨」

 私の肩に晃一の手がそっと触れた。でも、どんな顔をしていいのかわからなくて、私はバッグの縫い目をただじっと見ていた。

「俺たち、ゆっくり話し合う必要があると思う」

 晃一が言った。私が返事をしないので、彼が静かに続ける。

「今日は何限まで?」
「四限」
「俺は三限までだから、教室の前まで迎えに行くよ。だから、ちゃんと話をしよう。いい?」
「わかった」
「何号館の何号室?」

 私が答えると、晃一は私の肩から手を下ろした。けれど、私の視界には、まだ私と向き合ったままの彼のスニーカーの足が映っている。

「講義にいかなきゃ」
「わかってる。でも、あれは嘘なんかじゃないんだ。それだけは今、言っておく」

 晃一のスニーカーが視界から消えた。顔を上げると、C号館に入っていく晃一の後ろ姿が見えた。