目の前まで来ても顔を上げる事が出来なかった。





『僕には相談出来ない?』





聞いたことのない気遣わしい口調に思わず顔を上げた。






心配そうに私を見つめる瞳。






ーー以前の私だったら嬉しくて仕方のないことだったのに。






今は苦しくてーー








心配してもらってるのに苦しいなんて。







「…私と沢木さんとの間には、トラブルは起きてません。
仕事に支障は起こす事はありませんか……」







両肩を掴まれて顔を覗き込まれて、言葉が止まってしまった。







『…仕事とかそんな事より。

恋人として君を心配してるんだよ?』






ズキンッ






胸が苦しい音を立てて鳴った。






恋人として心配してくれてるのに私は。





相田部長を上司としてしか見ていない。


上司としてしか見られない。







相田部長が好きなんだって思っていた。





好きって気持ちも確かにあった。




けど…





相田部長に対する‘好きって’気持ちは憧れの延長でしかなかったんだ。







もっと早くに気付いていれば良かったわ。





そうしたら、昨日エレベーター内で私はNOと言っていた。





ーーけど、相田部長と付き合わなければきっと気づかなかった結城歩への想い。











“思わせ振りな態度をとるほうがよっぽど残酷だと思いませんか?”





結城歩の言葉が頭の中にはっきりと浮かび上がる。



言ってることは正しい。
そんなのわかってる。


けど、相田部長に私と同じ様なこんな惨めで辛い気持ちになんてさせられないの。






一度はOKしてしまったのなら。






最後まで相田部長の気持ちに応えていかなくちゃ…ね。






きゅっと結んだままの口をゆっくりと開いた。







「ごめんなさい。まだ昨日の今日なので、つい上司に対しての返答してしまいました。

相田部長が相手で、場所が職場というのは、どうしても公私混同してしまうみたいです。」




言い放った私をしばらく覗き込んでた。





『確かにそうだね。僕の口調も上司の時と変わらない口調だったのがいけなかったね。

ゆっくりと馴れていこう。』






ふわっと優しく笑みを浮かべ相田部長は肩から手を離した。





「はい。

あと、沢木さんと私、別に何もありませんから。本当に心配しないでくださいね?」






最後の椅子を畳みながら、さりげなく言えた。






『それならいいんだ。

そろそろ戻ろうか。』





会議室のドアを開いて先に出るように促され、前へと出る。







『…ゆっくり好きになってくれればいいから。

急かしたのは僕の方なんだし。

ずっと待ってるよ。遠藤さんが好きだと言ってくれるのを…。』






言われた言葉に泣きたくなってしまった。






相田部長は私の迷いをしっかりと見透かしていた。






苦々しい笑みを浮かべる相田部長に頷く事しか出来なかった。






その日を境に企画部内は少し忙しくなり始めた。







新しい事業への参入が決まって、その為に企画の細かな修正や見直しなど、部長を先頭に役職のついた人たちは連日遅くまで会議続き。









コピーやら冊子作りと頼まれる仕事が多くなって大変だったけど、どこかホッとしてた。









企画部が忙しければそれだけ相田部長と顔を合わせずに済む。








そんなずるい考えが頭の中を埋め尽くす事に本気で自己嫌悪しながらも、どうすることも出来なかった。






沢木さんはあの屋上の一件以来私に何も言ってこなかった。





結城歩の脅しの言葉が聞いたのかは定かじゃない。






ただあの日以来一切私と話さなくなった。
仕事の話しすら人を介してくる。






周りが不審に思わない理由をつける辺りすごいと感心してしまう。





時おり見せる鋭い視線がまだ結城歩を諦めてない事を語ってる気がした。







『遠藤さん、そろそろ昼だけど、区切りの良いところでお昼入ろうよ。

良ければさ、奢るから一緒に食べない?

一人だと味気ないからさ。』






横山くんに声をかけられて腕時計を見るとすでに13時近く。






いけない。すっかりこんな時間だわ。






「ごめんなさい。私お弁当持参なんです。

休憩室でパッと食べちゃいますから。」






何か言いたそうな横山くんを置いてさっさとフロアを出る。






そして携帯を開くと結城歩から今日もメールが入っていた。






【本文】
―――――――――――――――
屋上に13時に向かいます。

今日は一緒に食べられそうですか?
       歩
―――――――――――――――





自分の気持ちに気付いてから、仕事が忙しくなったと言って、私は結城歩と距離を取り始めていた。





そうしないと、いつまで経っても諦められないと思ったから。






お弁当だけ渡して仕事に戻るだけ。




時間にして数十秒顔を合わせるだけの日々。






『忙しそうだし無理して俺に弁当作らなくていいですよ?』





昨日お昼に言われて少しだけ迷った。






このまま、会わずにいた方がいいんだって。








けれどその数十秒ですら会いたいと思う気持ちに抗えずにいた。








屋上までの階段に1歩足をかけて上を見上げると、結城歩の後ろ姿が目に入った。






気配を感じたのか後ろを振り返り私を見て微笑みかけてくる。





『由宇さん。居るなら声かけてくださいよ!』






昇った階段を下へと降りて来私の2、3段上の所で立ち止まった。






「私も今気付いたのよ。

今日も忙しいからお弁当だけ渡すわ。食べ終わったら休憩室に置いておいて。」





差し出したお弁当をジッと見て、手を延ばして来たと思ったらお弁当を持つ私の腕を掴んだ。






『由宇さんもまだ食べてないんでしょう?

ちゃちゃっと屋上で一緒に食べちゃった方がお弁当箱返すのに手間取らないです。』





私が自分のお弁当箱も持ってるのを見逃さないで言ってくる。






失敗したわ。先に休憩室に私のお弁当置いてから来れば良かった。





そうしたら昨日までのように、「デスクで食べたから」って断れたのに。






ここで断ったら避けてると勘ぐられるわよね。






何も言わずに私の腕を引いて屋上へと向かう結城歩。





腕を掴んだその手は、夏だと言うのに冷たく感じた。



私より体温が低いとかでそう感じるのかしら。



だから、余計に捕まれたその部分に身体中の熱が集中したみたいに、ジンジンと熱を帯びていくのがわかってしまう。




屋上はどんよりした雲が覆ってるせいか蒸し暑かった。





入り口から死角になる場所へ腰を降ろして、私にも座るように促す。





少しだけ間を取ってハンカチの上に座ってお弁当を手渡した。






『由宇さん、部長とは会う時間とれてますか?』






結城歩にとって、私の事は意識してないとわかる質問に答えに詰まってしまう。





私は会わないように避けて、今だって意識して間を取って座っているのに。






「今は無理よ。知ってるでしょう?新プロジェクトの企画で忙しいって。

毎朝、顔合わせてるだけよ。」






努めて今までと同じように接するように返事をして、お弁当を食べる。






『そう、ですか。』







そのまま何も言わなくなったのが気になった。





何を考えてるの?






下手に声をかけてボロがでたら困るわよね。






今までの私だったらきっと何も聞き返さないと思う。






私もそのまま何も言わずにお弁当を食べていた。






食べ終えていそいそと片付ける私の横で、先に食べ終えてタバコを吸っている結城歩。


その横に置いてある食べ終えたお弁当箱に手を延ばした。





『由宇さん、俺の事避けてませんか?』





「な…に…言って?…どしてそう…思うの?」






唐突に言われた言葉に動揺した私の言葉はボロボロなものだった。






上手くごまかせたと思ってたのに。






いつ気付いたの?






もし今…私を見てそう思ったのだとしたら。







…私の気持ちもお見通しとか言うの?