『どうしたんです?すごく辛そうな顔してる。
由宇さんがここにいるってバレてないから安心して下さい。』
「そ…んな事心配…してるわけじゃないわ。」
『じゃあ何に対してそんな顔してるんですか?』
言ったって、余計辛くなるわ。
沢木さんに対して言った言葉でこんなにもショックを受けてるのに。
「か、可哀想よ。何もあんな言い方しなくても…
断るにしても言い方がもっと他にもあったはずよ?
それなのにっ…」
『ああいうタイプにははっきり言わないといつまでもしつこいから。
それに…思わせ振りな態度をとるほうがよっぽど残酷だと思いませんか?』
それじゃあ、私に対するあなたの態度は?
誘惑してみろとか、私の幸せ守ってやるとか……
そんな言葉に堕ちてしまった私がいけないって事なのね?
「確かに…残酷だわ。」
あなたの私への態度が沢木さんに対するものとは違う事すら充分残酷な仕打ちよ。
『何か言いました?』
小さく呟いた私の声は届かなかったらしく、私は顔を横にふった。
「何でもないわ。そろそろ仕事に戻るから。」
『俺も戻ります。』
「一緒に降りるわけにもいかないし、お先にどうぞ。
私は、一服してから行くから。」
手に持った鞄から、いつも吸っているメンソール系のタバコを取り出す。
けれど、取り出した瞬間に結城歩に取り上げられてしまった。
『ここ何日間か見た限りそんなに吸ってないし、無くても平気でしょう?
代わりに、これでもどうぞ。』
ポケットから数個の飴を渡して、屋上を出て行ってしまった。
何よ。女がタバコ吸うのはいけないって思ってたの?
自分も吸うくせに。
気持ちを落ち着けるのに必要だったのに。
仕方なく渡された飴玉をひとつ口の中に放り込む。
甘酸っぱい味が唾液腺を刺激して、耳の下辺りがキュウッとしたけれど、徐々に馴れてきて、甘さだけが口の中に広がる。
飴の糖分がゆっくりと体に染み渡ってしく感じだわ。
ニコチンなんかよりも落ち着くのかも知れないわね。
結城歩もこの飴と同じくらい甘い男だったら…、私にも少しくらい望みはあったのかしら。
そんな事を思った自分に嫌気がさした。
私には付き合い始めた相田部長がいるっていうのに。
何考えてるのかしらね…。
気付きたくなかったわ。
心の中に結城歩がどっかりと居座ってたなんて…
……気付きたくなかったわ。
ゆっくりと屋上からデスクまで戻る。
沢木さんの姿は見当たらなくて、どこかで泣いてるんじゃないかと思うと自分の事のように胸が痛んだ。
しばらくして戻ってきた沢木さんは、隣の席の横山くんに声をかけた。
私もパソコンから目を離して顔をあげる。
『急に具合が悪くなってしまって…。早退させて欲しいんですけど。
部長は会議中ですし、こういった場合誰に言えばいいんですか?。』
仕事にならない位ショックなのね。
けど…嘘ついて仕事を放棄するのはよくないわ。
「あと、数時間我慢できない?」
尋ねてみたけれど、一切私を見ようとしない。
『病院に行きたいのでお願いします。』
横山くんに頭を下げる沢木さんに横山くんは首を縦に振った。
『部長には俺から伝えとくよ。お大事にね。明日も休むようなら連絡するようにね。』
小さくはいと言って帰り支度を済ませて部屋を出るまで、沢木さんは一度も私を見ようとしなかった。
沢木さんがフロアを出てすぐに沢木さんのデスクにある電話が鳴った。
内線電話を知らせる音に、私は自分の席でその内線をとる。
「企画部遠藤です。」
電話の相手は白岩チーフだった。
会議が終わったので会議室の片付けをして欲しいという電話で、沢木さんは早退した旨と、代わりに私が行くと伝えて席を立つ。
沢木さんが早退したと聞いて白岩チーフの声が揺れていた。
白岩チーフ、本当に沢木さんが好きなのね…。
だけど沢木さんは結城歩に本気で…
きっと今回も実らない恋になってしまうだろう。
白岩チーフに同情しながら会議室のある上の階へと階段をつかって上がって行った。
会議室のドアは開かれたままになっていた。
その隣にある喫煙室からザワザワと話し声が聞こえる。
会議を終えて、仕事に戻る前に一息ついてるのね。
「失礼します。」
中に入ると皆もう出ていってしまったのかシンッとしてて誰もいなかった。
皆が座っていたパイプ椅子を一つ一つたたんで壁際に立て掛けていく。
『白岩くんから聞いたけど、沢木さん早退したんだって?』
入り口から声が聞こえて来て、体がびくついてしまった。
バタンッ
ドアの閉まる音と同時に振り返ると、相田部長がタバコのケースを胸ポケットに入れながら近づいてくる所だった。
「体調崩してしまったみたいです。」
相田部長の顔が見れなくて、露骨に体ごと背けて椅子の片付けを続ける。
会議室には椅子を片付ける音だけが響く。
相田部長が何も言わずに後ろに立っている事が気配でわかった。
背中に痛いくらいの視線。
私の様子を観察してるようで居心地が悪い。
最後の椅子を畳もうと手を延ばした時、相田部長が口を開いた。
『沢木さんと何かあった?』
延ばしかけた手を一瞬途中で止めてしまった。
「いえ、別に…」
『やっぱり何かあったんだね?今朝と様子が違う。』
1歩…また1歩と近づいてくる相田部長に、逃げ出したい衝動に駆られた。
今、顔を見られたら…何て言われるかわからないわ。
目の前まで来ても顔を上げる事が出来なかった。
『僕には相談出来ない?』
聞いたことのない気遣わしい口調に思わず顔を上げた。
心配そうに私を見つめる瞳。
ーー以前の私だったら嬉しくて仕方のないことだったのに。
今は苦しくてーー
心配してもらってるのに苦しいなんて。
「…私と沢木さんとの間には、トラブルは起きてません。
仕事に支障は起こす事はありませんか……」
両肩を掴まれて顔を覗き込まれて、言葉が止まってしまった。
『…仕事とかそんな事より。
恋人として君を心配してるんだよ?』
ズキンッ
胸が苦しい音を立てて鳴った。
恋人として心配してくれてるのに私は。
相田部長を上司としてしか見ていない。
上司としてしか見られない。
相田部長が好きなんだって思っていた。
好きって気持ちも確かにあった。
けど…
相田部長に対する‘好きって’気持ちは憧れの延長でしかなかったんだ。
もっと早くに気付いていれば良かったわ。
そうしたら、昨日エレベーター内で私はNOと言っていた。
ーーけど、相田部長と付き合わなければきっと気づかなかった結城歩への想い。
“思わせ振りな態度をとるほうがよっぽど残酷だと思いませんか?”
結城歩の言葉が頭の中にはっきりと浮かび上がる。
言ってることは正しい。
そんなのわかってる。
けど、相田部長に私と同じ様なこんな惨めで辛い気持ちになんてさせられないの。
一度はOKしてしまったのなら。
最後まで相田部長の気持ちに応えていかなくちゃ…ね。
きゅっと結んだままの口をゆっくりと開いた。
「ごめんなさい。まだ昨日の今日なので、つい上司に対しての返答してしまいました。
相田部長が相手で、場所が職場というのは、どうしても公私混同してしまうみたいです。」