十二月十九日。PM四時三十分過ぎ。
二千翔が救急車に乗せられた。
俺と深雪の心臓はピークを通り越し、ただただ痛みだけを感じた。
救急車の中で処置を受ける二千翔。
他に俺達にやれる事といったら?
『とりあえず、遠山さんに連絡を入れよう。
病院に搬送されてからの同伴者も必要だろうし』
『そうだね』
何だか気が抜けてしまった。
未だ、生死を彷徨う二千翔には申し訳ないが、【他人】である俺達に出来る事は遠山さんへの連絡だけであり、他にはもうない。
つまり・・・
『あの、この子の発見者ですよね!?同伴を求めたいのですが』
『・・・え、いや。無理です』
救急隊員は目を真ん丸にさせた。
『すみません。一緒に行く事は出来ません』
『発見時の詳しい状態等をお聞きしたいのですが・・・どうしてもですか?』
『子供が・・・俺達の子供が行方不明で・・・』
救急隊員は俺が言った言葉を理解していない顔をした。
同時にこの時気付いた。
俺と深雪は、父親、母親としての力量がまるで足らない。
一人を守る為に、一人捨てているようなものだ。
歯痒い感情が俺を支配した。
こんな重症を負った子供を目の前にして、俺は我が子を思っていた。
心中の葛藤。混乱。錯乱。脳内の細胞が溢れ返った。
助けたい。二人とも。
二千翔はもう平気?
どこが?単なる美化だろ・・・。
そしてこの脱力感は何だ?
何かが俺の中から込み上げてきた。
その感情を曝け出そうとした時、『拓・・・行こう』
深雪の手が俺を誘(いざな)った。
二千翔が救急車に乗り込み同伴の件が頭を過ってから、
俺は何度この言葉を心の中で発しただろうか?・・・【ごめん】
『すみません!俺達は一緒には行けません!ここに連絡を』
そう言って、遠山さんの連絡先が書いてあるメモを隊員に渡し、
俺と深雪は逃げるようにしてその場を去っていった。
苦渋の選択だった・・・。

涙が枯れる事を知らず。
こんな衝動に陥るとは思ってもみなかった。
どっちも大切な存在には変わりないのだけれど・・・。
俺と深雪の力量では選択するしかなかった。
当然のように、深雪は涙で頬を濡らしていた。
あの時、俺を誘ってくれた力強い深雪はそこにはもういない。
『拓、私達・・・これで良かったのかな?』
別に、行動上大きな問題があったわけではなかった。
たまたま見つけた瀕死の子供。
救急車を呼び、そこで別れただけ。
苦しむ必要なんてないのだが、この衝動は何?
『平気だよ。遠山さんが見守ってくれるから』
父親って難しいんだ。親って、凄く難しいんだ。
改めて思い知らされた瞬間だった。
同時に、当然のように責め続けていた島津を、この時ばかりは・・・
『平気だよ。二千翔は助かるから』
自分に言い聞かせた。はっきり言って何の保障もない。
それでも言い聞かせるしかなかった。
そりゃ、考えたよ。
別に、俺達が同伴しなくたって、二千翔の生死には関わりはない。
けれど・・・けれども、この衝動は?
『今は、沙梨の事を考えよう』

島津の話    
十二月十九日。AM九時。季節は冬(とう)
建物の中とはいえさすがに冷える。
結局、あの子は昨日も見つからなかった。
愛・・・。
気分は押し花。
魅せかけの上等な母を演じる私を、縛り付ける権力。
眩しいくらいの陽射し。
『白の季節だけど、火のお化けは出ているからね。
決して、外に出てはいけないからね』
『何だ?何か言ったか?』
『いいえ』
部屋の中に存在する呼吸音は二つ。
私と栢山。
『黙っていろ。基本的にお前は今、私語厳禁なんだ』
『・・・すみません』
『・・・』
栢山は一度私を見た後、一つ呼吸を深く吐いた。
『・・・どうしてこんな馬鹿な事をした?』
『・・・』
『・・・私語を許そう』
『理由なんて語れない。語る権利もない。
今言った通り、私は私語も許されない。況してや言い訳なんて・・・』
『・・・』
『教えていただけるのなら是非・・・。
栢山さん、あなたならどうしますか?
自分の初めての子供に、重度の病が存在していると知ったら』
『そりゃあ、最初は戸惑うが』
『そう。私も戸惑った。そこに、更に知らされる真実。
未発見の新種の病魔であり、当然のように治療法が存在しないと宣言されたら』
『・・・』
『新種の病魔。もちろん名前もない。想像出来ます?
僅か二歳にも満たない子供が、円周の直径に対する比、つまり円周率を無限に答えられるところが』
『・・・』
『栢山さん。愛って何ですか?』
『愛?そんなの説明するまでも』
『それでは駄目なんです!愛という形のない存在を、三歳児にも分かりやすく説明しなければ駄目なんです!』
『・・・』
『!・・・すみません』
再び、私語厳禁の空気が流れた。
『んんっ!』一つ、栢山が咳を払った。
『じゃあ、その後の進展を聞いてくるからよ』
私は一度頷いた。
部屋に一人残された。
手錠の冷たさ、質量、鎖から鳴る乾いた金属音。
全てがやけに大袈裟に感じた。
深く椅子に我が身を委ねた。
無心。無音。無気。
本来なら耳に届く音も届かない。光も見えない。感情さえも彷徨う。
こんな感じが・・・なぜか心地良い。
なぜ?・・・そういえば・・・初めてだったのだ。
我が子の育児放棄。
その理由を誰かに心々と聞いてもらったのは、今のが初めてだった。
栢山に私の訴えを聞いてもらえた事により、私の心はすっきりとしていた。
だからこんなにも清々しいんだ。
私だって・・・
『私だって母親よ・・・簡単に決めないで。【あなた達】に、あの子を捨てた時の苦しみが分かるわけがないでしょう』
私以外誰もいない部屋で、精一杯声を殺しながら訴えた。
今更許しを請うつもりはない。
ただ、もう一度だけあの子をこの手で・・・抱き締めたいよ。

十二月十九日。
AM十一時過ぎ。基本的に情報の伝達が原則許されない私に情報が入る。
それは私の実の子供の事だから?
違った。愛の情報ではなかった。
しかし、私はその情報を聞いた瞬間寒気を覚えた。
『嘘でしょう?』
『本当だ。お前を追うように駆け出したらしい。その場は職員が制止したが、
職員の隙を見つけて抜け出したのだろう。
つまり、お前絡みの子供が二人行方不明になったんだ』
二千翔が施設を抜け出した事実。
あの子は・・・生きられない。