十二月十八日。
AM十一時。
私は、養護施設にある事務室の椅子に座っていた。
ここは、学校でいう職員室と呼ぶべき場所なのか?
この椅子に座ってから二十分。
愛(沙梨)の情報を調べているのだから、少し時間が掛かっても仕方がないだろう。
しかし、二十分を過ぎた頃から、私の気持ちに余裕がなくなり始めた。
勿論、理由は一つ。
私が犯罪者であって、今朝脱走してきたという事実があるからだ。
その事実はTVを通して世間に浸透しているだろう。
私の管理カード、所謂名刺には顔写真も当然写っている。
私の顔をTVで流せば、ここの職員だって私の存在に一発で気付くだろう。
そのような理由があるが為、この二十分以上という時間が恐怖心に変化しつつあった。
私を案内してくれた職員。
案内していた時は、私が警察官を名乗ったという事もあり、
てきぱきと行動していたように見えた。
再びその仕草が見られるだろうか?
私の顔を見るなり、形相を変えてくるのでは?
今日という日が始まって、もう幾度私は恐怖に覆われていることか。
ドアが開く音とほぼ同時に、私の心音が跳ね上がった。
ドアは五cm程度開いたところで止まった。
何?
私を警戒しているのか?
それとも、すでに警察を呼んでいるのか?
答えは二つに一つ・・・二者択一なのか?
他の答えは・・・何秒経過しただろうか。
恐らく、まだ数秒だ。
最早、時の経過感覚など分からなくなるくらい心が緊迫していた。
私は一度、重たい呼吸を吐いた。
その間、間違いなく二秒はあった。
まだ、ドアは開かない。
限界。
もう、限界だった。
もう、どちらでも構わない。
ドアの向こうに存在する者よ、私を楽にさせて・・・。
私は、無意識に椅子から立ち上がり、開き掛かったドアに手を掛け、
一気にドアを開けた・・・。

ドクン!ドクン!胸が痛い。
右足に力が入った。
勿論、逃げる為にだ。
前方には何も見えなかった。
強いて言うなら、幼子が書いた数多くの絵が貼られた壁が見えた。
しまった!と後悔した。
左右から取り押さえるつもりか!
無意識に一歩、後ろに下がった。
取り押さえられる際の、衝撃が・・・ない。
ドクン!ドクン!胸が痛い。
まだ、豪快な心音は止まらない。
汗が背中を伝いながらゆっくりと落ちた。
『・・・な、何?』
ドアの向こう側には誰も居ない?
では、なぜドアが開いた?
我に返るまで、何秒程時間を要しただろうか?
少なくとも、その間この子は私をこんな顔で見ていたのだろう。
答えは真下に居た。
目を真ん丸にさせ、かなり怯えた様子で私を見ている。
『・・・あれ?ドアを開けたのは君なのかな?』
私はその子と同じ目線までしゃがみこんだ。
『ご、ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったの。
確か・・・二千翔ちゃんだったよね?』
自分の名前を言われると、やがて二千翔は警戒の糸を解いた。
そう、さっき私に声を掛けてくれた女の子だった。
恐る恐るドアを開き、私の様子を伺っていたのだろう。
突然私が勢いよくドアを開けたものだから・・・。
『痛いの、治った?』
二千翔は私の膝に手を乗せながら聞いてきた。
『えぇ。もう平気よ。二千翔ちゃんは人を思いやれる子なんだね』
『・・・?』
『優しい子って意味だよ』
二千翔は嬉しそうに笑った。
完全に私への警戒心を解き放った二千翔は、笑顔を見せながら話し出した。
『明日も白かな?』
今は、この子の存在により私は恐怖から逃れられている。
そう悟った私は、なるべくこの子と話し恐怖心を忘れたかった。
そんな感情が素早く脳で働き、【白】という単語の意味をすぐに解釈し、
二千翔との会話に空間を置かなかった。
『そうね。明日も白よ。当分続くんじゃないかな?』
『明日も火のお化けは出る?』
通常なら理解出来なかったと思う。
この時は二千翔の言う、【火のお化け】の正体がすぐに分かった。
『ちょっと、分からないな。もしかしたら出ないかも。
けど、どうしてお化けだと思うの?』
『火のお化けは、私を苛めるんだ』
『・・・苛める?あんなに高い所に居るのに?』
『そう。私は外で遊んじゃいけないんだって。
お化けが私ばかり苛めるから』
何となく読めてきた。
正門で職員が口にした言葉。
治癒不可能の病の存在。
『そうか・・・。火のお化けは嫌な奴だね』
【太陽】が自分達にとってどれほど重要な存在か。
それを教えるのも私の義務だろうけど、今はそんな気分になれなかった。
二千翔が言う事は全て正しい。
そう、私は思えた。
それくらい、辛い過去を背負ってきている。
そう、悟れた。
『皆は、いいな。お化けに苛められないから』
『・・・そうだね』
『私、何か悪い事しちゃったのかな?』
『・・・』
胸が痛くて、
痛くて、
痛くて・・・。
二千翔は戦っているのだ。
太陽という、絶対的な存在を相手に。
愛と同様、助けてくれる人が居なくて、一人で戦っているのだ。
暗い部屋の中で、幾度太陽を憎んだ事だろうか。
次第に、絶対的な存在である太陽を私も憎んでいた。
早く、夜になってしまえ。
『お邪魔かな?』
ドアを開けてきたのは、先程の職員だった。
私と目が合った。
正直、もうどうでもよかった。
愛を抱き締めるという使命を抱えているのに、この脱力感は何?
答えは二千翔だった。
この子の存在が私を大きく変えていった。