PM七時。
中途半端な時間にパンを食べてしまったせいか、夕食が口に出来なかった。
そうでなくても、食事をする気分でもなかった。
拓の両親が私を慰めてくれた。
それは、勿論凄く嬉しかったし、泣きそうになった。
けれど、私は無反応のままで居た。
拓の両親も、息子が逮捕された事実を背負い、辛い状況にいるというのに私は両親に対して反応を返す事をしなかった・・・出来なかった。
一人、部屋に閉じ篭もった。
ふと、窓の外を見た。
もう、すぐそこまで冬が来ている。
昼間に残る残暑が嘘のように・・・。
夏にあった匂いはなく、秋を通り越した冬独特の匂いが外で流れていた。
この部屋は・・・何も流れてない。
風も、時間も・・・涙も。
私がそう思い込んだだけであって、実際にはPM七時四十分。
しっかりと時間は流れ、涙も流れた。外から吹き込んだ風も流れた。
精神的にボロボロな私を受け入れてくれた拓の両親には本当に感謝している。これ以上は心配かけられない。
そう思って、布団の中で大声で泣いた。
これ以上出ないくらいの声で泣いた。
私は・・・これからどうすればいいの?
ただ、笑って暮らせればそれで良かった。
布団の中は真っ暗で、一瞬独りぼっちになった錯覚に陥ったが、
一筋の光と同時に私を抱き寄せる二本の腕により錯覚から免れた。
『大丈夫?』
拓のお母さんのその一言で私は更に大きな声で泣き出した。
なんて弱く、なんて脆いんだろう。
日々、あんなに拓に対して怒鳴り散らしてたのに、今はこの声も聞こえない。日々、あんなに沙梨ちゃんとお話したのに、今はこの声も聞こえない。
弱い私。

還る私は、おしとやかに笑っているふり。
数奇な事を望む事も疲れ果てた。
何より、現実を見つめる両目の方が何よりも大事だと・・・
気付いた秋風の入り口。
『ま、そういう事でよ。しばらく自由とは縁がなくなりそうだ』
拓は落ち着いた様子で私にそう告げた。
『裁判の日にちも決まってるみたいだけど、どうせ有罪だろうし。ま、近い内に俺の囚人服姿見せてやるよ』
拓・・・貴方は望んでいないの?
私に助けを求めないの?
面会室で私は泣き出した。
『・・・相変わらず泣き虫だな。てか、別に泣くこともないだろ!?
俺も沙梨も、死んだわけじゃねぇんだし』
分かってる。
『だから、泣くなよ』
『分かってる・・・よ』
声が震えている。
『まぁ、なんて言うか・・・ごめんな。深雪ばかり辛い思いさせて』
『!・・・』
違うよ拓。
私はそんな言葉を待ってるんじゃないんだ。
『別に・・・私は平気』
『そっか』
『・・・』
『・・・』
沈黙化。
私が言ってもらいたかった言葉は、拓の口から出る事はなかった。
だから私は言ったんだ。
『じゃ、帰るね』
『深雪』
『・・・何?』
『俺は、間違ってたか?』
『え?』
『父親としての仕事・・・出来てなかったかな?』
・・・馬鹿。
『さぁね。自分で考えてみなよ』
あなたは世界で唯一、私が認める父親の鏡だよ。

風が吹いた。
当たり前の事のように思っていた事が、全て新鮮に感じる。
理由は簡単。
独りぼっちだからだ。
何をしてても無気力。
また、風が吹いた。
いつの日か拓が言ってたように、確かにこの部屋は私模様だね。
嫌なのかな?
沙梨ちゃんは気に入ってくれたよ?
嫌なら・・・戻すよ。
何でもするよ。
だから・・・。
三度目の風が吹いた、その時だった。
ブゥゥ!ブゥゥ!、突然鳴り響く拓の携帯に、目を真ん丸にさせ驚いた。
着信音が暫く鳴り続いていた。
電話?誰からだろう?そう思いながら、
若干、勝手に携帯を見る事に抵抗があったが画面を見た。
非通知だった。
『・・・』
右手の親指が勝手にボタンを操作した。
『・・・もし、もし?・・・』
恐る恐る声を発した。
しかし、返答はなかった。
独特のノイズ音だけが携帯から漏れていた。
『誰?・・・どうして、非通知なの?』
『全テ忘レロ』
『!嫌っ!』
思わず携帯をベッドに投げた。
全身が恐怖で支配され、しばらく動けないでいた。
背中を流れる冷たい汗が、私を現実に引き戻した。
今のは・・・何?
一つ、深く呼吸をした。
まだ、体は震えていた。
恐怖と戦いながら、私は携帯を見た。
すでに通話は切れていた。
けれど、確かに聞き取った。
『・・・全て忘れろって』
気持ちの悪い、ノイズ混じりの声だった。
男寄りの声に聞こえた。
『何なの?』
とにかく、誰かにこの事を伝えたくて仕方がなかった。
意味も分からないし、誰かと一緒に考えたかった。
現実は一人。
『・・・』
一人で考えた。
【全て忘れろ】
思い当たる事はやはり・・・。
『沙梨ちゃんの事を忘れろと?・・・!』
まさか・・・
『今のは実の父親?』
となれば、あの日デパートで沙梨ちゃんに接触し手紙を置いていった男が今の電話の主?
いや、それはおかしい。
あの時、確かに拓はすぐに追い掛けていった。
しかし、結局拓と男が接触する事はなかった。
接点がない。
つまり、拓の携帯番号を知るわけがないのだ。
分からない・・・。
いくら考えても分からなかった。
拓の両親に相談した方がよいのか?
いや、表情にこそ見せないものの、拓の両親も疲弊し切っている。
更に追い打ちをかけるような事は出来ない。
無論、拓にも言えない。
犯罪者のレッテルを貼られている今、何をするか分からない。
この電話の件は私だけに留める事にした。
人差し指と中指で、こめかみの辺りを揉んだ。
確かな頭痛を感じたからだ。
神代に生きる錯覚に陥った。
私達の人生を誰かに操られているようで。

その日は少しだけ肌寒さを感じた。
厚手の衣類に袖を通せば、嫌でも温まる。
しかし、本当に欲しい温もりはそこにはなかった。
自分でもうんざりしていた。
目下から口元にかけて、涙専用の道が出来てしまうのでは?
それくらい、毎日のように泣いていた。
拓の有罪が決まったその日の夜、私は季節外れの線香花火に火を灯した。
身に染みる風が吹いた。
ポト・・・花火の燈が当たり前のように落ちた。
それは摂理である。
風が吹けば線香花火の火種は落ちる。
そこに奇跡を信じていた私は酷く落胆した。
私の隣で煙草を吸っている拓。
私の正面で燈を落とさぬよう、目を真ん丸にさせながら線香花火の取っ手を持つ我が子・・・。
全ては、幻影の影。
花火が尽きても家の中に入ろうとはしなかった。
ここで待っていれば、いつか二人が帰ってくる気がしたから。
私には待ち続ける義務があると思ったから。
『・・・馬鹿みたい』
国?法律?制定?何それ?国家?憲法?政治?
興味ないって。
この日、私は大声で叫んだ。
夜空に向かって一人で。
その言葉は今の私の心境にピッタリの言葉で、
誰に対しての叫びだったかは分からないけど、
素直な気持ちを声に出し叫んだ。
立ち上がり、ゆっくりと深呼吸して、憎たらしい夜空に向かって一つガンをくれた後、
『馬鹿野郎!』と。
私はこんなに参っているのに、空はニヤニヤと笑っている。
『いつまでも・・・笑ってんじゃねぇ』
心の中で突き立てた中指。少しビビった空。