『絶対今の話笑うと思ってた』
深雪の言葉に対し、俺は懺悔にも近い感情を覚えた。
笑える要素なんて、どこにもなかった。
『深雪・・・それは夢の話じゃない』
『え?』

-拓也の話-

『夢じゃない。お前に話し掛けてた女性と、俺は付き合っていた。
そして今の話は全て真実だ。
単刀直入に言うと、記憶をなくした後に深雪が付き合った男・・・
深雪を弄んだ男を、俺は確かに殴った』
目を見開いて深雪は小さく、嘘・・・と呟いた。
『実家近くのアパートに俺は一人暮らしをした事がある。
深雪の記憶が消えた後の事だ』
勿論、初耳であろう深雪は、次に発せられる俺の言葉を待っていた。
『全部真実なんだよ。俺はその子と半同棲生活をしてた。
その子の為にも、一日でも早く深雪を忘れようとした』
『・・・』
『忘れられなかった』
『!・・・』
『俺もまた、その子を弄んだに等しかった』
『・・・』
『俺の心がその子にない・・・その事に気付いたその子は・・・
自殺したんだ』
『!・・・』
『その子の名前は・・・沙梨。
投身自殺を図った。病院に緊急搬送された。
深雪が入院している病院と同じ病院に・・・』
『・・・』
『・・・即死だった』
『・・・作り話・・・そんなわけないよね』
『部屋のTVの横に置いてある小物入れあるだろう?
そこに書類が入っている。アパート賃貸手続きの書類がな。
いつか・・・深雪に話さなきゃいけない事だと思っていた』
いつか話さなければ・・・そう思っていたが、こんな形で懺悔をするとは思わなかった。
こんな俺を愛してくれた女の子。
沙梨は・・・死して深雪の記憶を蘇らせる薬になっていた。

深雪はスニーカーを脱いで、足をベンチに乗せ、両膝を両腕で囲んだ。
『・・・はぁ』
『悪かった』
『・・・何が?』
『・・・浮気』
『浮気・・・か。だったらお互い様だね』
『違う。当時深雪には記憶がなかったんだ』
『・・・その辺の話は興味ないかな』
『・・・』
『繋がってるのかな?』
『え?』
『可能性はゼロじゃないけどさ・・・不思議だね』
『・・・確かにな』
『じゃあ、沙梨ちゃんの名前を知った時、驚いたのは私だけじゃなかったんだね』
『あぁ・・・正直驚いたな。けど、反応するわけにはいかなかったし』
『・・・私の中に現れた沙梨さんも変わった人ね。
拓みたいな男に惚れるなんて』
『・・・言いたい放題だな』
『当然よ。どれだけ私が苦労しているか。
もっとレディーを大切にしてね』
深雪が言った、【レディー】という言葉。
そう、大切にするんだ。
護ってやるんだ。
助けてやるんだ。
目の前の部屋にいるレディーを・・・。
『二度とレディーを泣かせるわけにはいかねぇしな』

【提燈花 日和陰西 天頂に嘆く 夕刻の縁】
額に飾られた一枚の押し花と、ちょっと俺には理解出来そうにもない文章。
別に意味を考えるつもりもないけれど。
ふと、文章の下にあった熟語が俺の視界に入ってきた。
『深雪。ヒヨクレンリって、何?』
『え?比翼連理?拓・・・本気で私に質問してるの?』
『だよな。分かるわけ』
『比翼連理ってのは』
俺の言葉が途中で遮られた。
『夫婦の強い結び付きの事を言うの。最悪だよ。それくらい知っててほしい』『へぇ・・・物知りだな』
『拓が非常識なのよ』
『うるせぇ』
午後五時五十分過ぎ。
さすがに深雪との会話も途切れてきた。
もう、これ以上はない。
お互い、落ち着かない様子で診察室のドアを見ていた。
診察が始まって、もうすぐ三時間。
はっきり言おう。俺は、覚悟は出来ていた。
口にはしないが、深雪もそうだろう。
沙梨は大病患者だ。
それでも構わない。俺はあいつの父親だから。
これまでと変わらず、沙梨を育てていく。
深雪も俺と同じ気持ちのはずだ。
何にせよ、早く帰ってこい。
俺は・・・沙梨、お前の顔が一刻も早く見たい。
『!』
俺と深雪が目を合わせた。
診察室の明かりが消えたのだ。
医師が診察室から出てきた。
その表情は決して明るくは見えなかった。
俺と深雪は二人同時に立ち上がり、医師に詰め寄った。
『あの、沙梨は!?あの子の体に何か病気が!?』
『どうぞ、中に入りお待ち下さい。五分程で戻ります』
そう言うと医師は診察室のドアを開け、俺と深雪を部屋の中に招いた。
『沙梨ちゃん!』
深雪が沙梨の側に駆け寄る。
『少し診察が長引いてしまったから。疲れて眠ってるわ』と、
近くにいた看護婦が言った。
俺は看護婦に軽く頭を下げ、ベットに横になる沙梨の隣に座った。
五分後。
全てが明らかになる。
俺と深雪は覚悟していた。
しかし、いざその時になると鼓動は倍速になった。
高校受験の合格発表なんて比にならないくらいのスピード。
看護婦が部屋を出ていき、事実上部屋には【親子】だけが存在した。
『・・・』
何も話せないでいた。
五分後。約束通り医師は部屋にやってきた。
深雪は医師の答えに崩れ落ちた。
『・・・助かりません』