私は、どれだけ拓に救われているのだろう?
内容は、至って単純、故に濃い。
出会ってからかなり経つけど、拓、あなたにまだ言えないでいる言葉がある。

-深雪の話-

沙梨ちゃんが私をママと呼び始めて数ヶ月。
あの時はまだ吐く息も白かった。
沙梨ちゃん・・・私はあなたを愛しているけど、愛せない。
拓が言っていた言葉が今なら痛い程分かる。
変に情を移せば、後で辛い目に合う。
必死に忠告してくれた。けれど、私は反対した。
反対するどころか、拓にまで情を移してしまった。
時々、拓の言う事が恐ろしく正論の時がある。
その時、その場で理解出来れば拓を怒らせる事もないのに。
反省の色を見せない自分に腹が立ち、その怒りの矛先を拓にぶつける悪循環。心の中に存在する拓への謝罪の言葉。
言えないでいるたくさんの言葉。
私なりに考えて、今、言いたい言葉は、
【ありがとう】だよ。
『深雪!お前この前撮った映画消したろ!?』
『だって消さないと大家族の番組撮れなかったんだもん!』
『勝手に消すなよ!』
『消さなきゃ撮れなかったって言ってるじゃん!』
喧嘩が恋しいよ。
喧嘩の数だけ拓を知れそうだよ。
泣き虫って、私に言うけど・・・拓の為の涙だよ。
難しい話はいらない。
単に、私は拓が好きだから。
薬指に光る指輪、これは私の誇り。
いつか、心からありがとうと拓と向き合って言える日がくるかな?
願わくば・・・そんな日こない方がいいな。
・・・なんてね。

-拓也の話-

『その塗り薬を一回塗ってしまえば、ママとじぃはいつも沙梨ちゃんの隣にいてあげられるの』
この言葉が沙梨に止めを刺した。
深雪は沙梨に説得を続けていた。
泣きながら、
『塗り薬って何?』
『注射が痛いのは何で?』
『遠い病院ってどこ?』
『病気ってどうしてなるの?』と、
得意の沙梨節を続けたが、先程の言葉で沙梨は渋々病院に行くことに頷いた。一方、俺は島津さんと立浪さんに連絡を取った。
立浪さんは安堵の声で、
『どんな結果が出ても、沙梨ちゃんのパパで居てあげて?』と、伝えてきた。島津さんも病院に行く事は快く承諾してくれた。
しかし、やはり警察としてのプライドがあるのだろう。
なにかと言葉の最後に、
『私達の方でも最善を尽くします』と、付けてきた。
なんと言われても、道は決まっている。
白黒はっきりさせるだけだ。
そして、白でも黒でも俺は沙梨を手放さない。
俺はもう・・・

あいつの父親だから。

あいつが心から幸せになれる時まで支えてやろう。
そう、心に決めた九月の初秋。

教えてほしいよ・・・私は知らないから、教えてほしいだけなの。
教えてもらうことは、よくない事?
どうして・・・?
どうしてパパとママは私を【捨てた】の!?

-全能無知幼女の話-

何故、ブラックホールは存在する?
地球の大きさとは比較出来ない星がある。
その星は、自らの重力に耐え切れなくなり、消滅するという。
その消滅痕がブラックホール。
消滅痕に名称をつける事自体、私には考えられない。
あぁ、なんかどうでもよくなってきた。
気付けば、ブラックホールという単語自体知らないで居る自分が居る。
私は全能を持つ。
だから、病状が悪化してくにつれ、情けなくなった。
医者が言うように、私に潜んだ病は地球上どこを探してもない。
円周率を的確に当てる私を見て、【あんた】は嬉しそうにして居たね?
今のうちだよ。
暫くすれば私の脳は同年代と同等の脳になる。
やがて、脳は死滅し、私を形成する細胞も朽ちていく。
要は死ぬって事だ。
別に、【死】を恐れているわけではない。
ただ、生命が誕生して何十億年という月日が過ぎた今、まさにこの現代に、
【私】と言う、生命史上初となる本当の【絶対的存在】が居るというのに。
馬鹿な奴らだ。
そこが腑に落ちない。
ま、別にいいけどね。
もう少ししたら、全能なんて言う単語も私から消えるだろうしね。
それに、恐らく私は捨てられる。
誰も知らない、誰も治せない病を持った子供を育てていく力なんて、あの両親にはない。
あの女は、少なからず私の脳に恐れを感じているらしいけれど。
それだけじゃ話にならないよ。
捨てられ・・・そのまま死んでゆく。
今の知能があれば生きていく手段くらい腐る程思い浮かぶけど、
その時の私は、【無能】だから駄目だろうね。
たとえ拾われたとしても、誰も私を止めることは出来ない。
死のルートを着実に進む私を、誰も止められないんだ。
そうだ。名前をプレゼントしよう。
全能である私から無能である私に・・・。
逆に言えば、両親から授かったこの名前にはうんざりしてたとこだ。
無能の私・・・貴方の名前は・・・
【沙梨】
無能なってもこれだけは忘れないで。
私から私への、最初で最後のプレゼントなのだから・・・。
全く必要のない事だけど、一応復習しておこうか?
私の本当の名前は【  】だからね。

眠れなかった。
二十年間生きてきたが、初めての事だ。一睡も出来なかった。

-拓也の話-
    
理由は恐らく、沙梨の病に対する不安だと思う。
今日は土曜日。
いつもなら今頃沙梨のボディプレスを受け、股間付近を押さえて悶えている頃だ。
今日、沙梨は二階にはやってこなかった。
今日、白黒付ける事にした。
日曜日はリハビリ専門の曜日らしく、急遽、予定より一日早く病院に行く事になった。
予約もスムーズに取れた。恐らく立浪さんが陰で動いてくれたのだろう。
沙梨は・・・今も恐怖に支配されているはずだ。
『おはよ』
深雪が和室から声を掛けてきた。
『おはよ。沙梨は?』
深雪は一度俺と目を合わせてから、ある方向に視線を移した。
どこか表情が暗かった。
深雪の視線を追うと、沙梨は外にあるベンチで一人座っていた。
別に何をするでもなく、ただただ、座っていた。
『どうしたんだ?』
『誰とも話がしたくないって』
『!・・・何だよそれ』
相変わらず三歳児とは思えぬ行動をする。
『昨日、あまり寝付けなかったらしくて・・・』
『・・・そっか』
涼しい風がカーテンを通り抜け吹き抜けた。
俺、深雪、俺の両親は、一人ベンチに座る、
【娘・孫】を見つめていた。
スッと、突然沙梨が立ち上がった。
そして、
『じぃ!おはよう!』と、俺に背中を向けたまま明るい声で言った。
『!・・・お、おはよ。元気だな?』
『天気がいいからね!』
『・・・はは、何だそりゃ』
沙梨の明るい声に四人は救われた。
四人の安堵の息が部屋を覆った頃、
『さっさと薬塗って、帰ってこような』と、俺が沙梨に近付きながら言った。この地点で俺が一番沙梨に近い距離にいた。
そこで気付いた。
沙梨の背中が小さく、小刻みに震えている。
『・・・沙梨?』
『じぃ!・・・ずっと』
沙梨の声が詰まった。
沙梨の背中を通り越し、小さな顔を覗いた。
幾千流しても、その涙が消え去る事はなかった。
『ずっと・・・ずっと一緒にいようよ!』
沙梨が崩れ落ちた。
俺は自分を呪った。
どれだけ、沙梨を辛い目に合わせているんだ。
大声で泣く沙梨の小さな体を、包み込むように後ろから抱き締めた。
『いい子で居るから!何でもするから!・・・捨てないで!』
沙梨の糸が切れた瞬間だった。
俺と深雪に拾われて以来、ずっと恐れていたんだ。
自分を捨てた両親を恨む余裕もなく、自分を愛してくれる空間だけを望んでいたんだ。
『馬鹿・・・馬鹿だなぁ沙梨。約束しただろ?
一緒に花火やるって。来年、またここでやるんだ。そうだろ?』
沙梨は小さく、何度も頷いた。
しっかりと小さな手で俺の腕を握り締めていた。
小刻みに震える沙梨の体。
守ってやりたい。
ただ、単純にそう思った。心から思った。
『よし!沙梨!来年なんて遠い話しないで、今日にしよう!』
『・・・え?』
沙梨が涙で濡れた顔をこちらに向けた。
『病院から帰ってくる途中、花火を買って帰ろう!
そして、今日の夜にやるんだ!』
沙梨は涙で滲んだ目で俺を見ていた。
『パチパチ花火?』
『線香花火じゃない!物凄く大きな花火だ!』
俺は両手を限界まで広げて沙梨に見せた。
『う、うん・・・』
『約束、出来るか?』
手の平で涙を拭い取り、最高の笑顔で沙梨は言う。
『うん!』
この笑顔を、二度と壊すものか。心にそう誓った。